2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

図書館に本を返しに行かないと…。雨降りで憂鬱。

明烏敏著「歎異抄講話」

序に『本書は、著者が自己弁護のために聖典の盾にかくれようとして書いたものである。本書は、著者が聖典の文句を借りて自分の不平を漏らしたものである。こんな書物は親鸞聖人に迷惑をかけるばかりであるから、焼き捨てるがよい。こんな書物を公にするはま…

加藤恒夫編「社会倫理の探究」の中で、太田学という人が「いじめとプライド」という文章を書き、アンデルセンの「裸の王様」と「みにくいアヒルの子」を題材に“誰が一番バカだったのか”、“本当にみにくいのは誰でしょう”というようなことを考察している。 「…

今日は、朝から一騒動ありました。 今日は朝から用事があり、その準備をしていたところ 耳が聞こえない、目も見えないという高齢の女性から 電話があり、一方的に要件を言って切ってしまいました。 その電話を受けてしまい、まだ開店前だったので、 住所もは…

今からお寺の『真宗考座』です。 講座ではなく、考座。 誰から教えてもらうというのではなく、 みんなが考えるという願いが籠もっているのだと 思います。正信偈の勉強です。今日で第3回目。 ずっと続くようになると良いと思います。

FBに曽我量深師の「歎異抄聴記」のことが出て来て、 自分も何年も前に買ってからなかなか読めないでいる ことを情けなく思う。 今日、たまたま金子大栄校注「歎異抄」と五木寛之著「歎異抄の謎」を購入。 この3冊を上手く読みこなしてみようという意欲がまた…

法話を聞くという、その楽しみ方にもいろいろあるでしょうが、 少なくとも嫌な気分にならないことは最低の条件だと思う。 それは、また話をする側にとっては難しい課題でもあります。 すべての人の気に入る法話は無理でしょうが、 最大多数の人に良かったと …

FBからブログにと思っていますが、 TVを見て時間がないのか、書く内容が無いのか。 昨日は久しぶりに一色の勉強会で、0時過ぎに帰宅。 本当に久しぶりの午前様です。 勉強の収穫は、親鸞聖人御消息についてのこと。 早速家にある資料を引っ張り出して読ん…

『末燈鈔』と言われると、歎異抄とか唯信鈔みたいなものかと 勝手に思い込んで。何か意味も分からずに敬遠してましたが、 内題「本願寺親鸞大師御己証並辺州所々御消息等類聚鈔」 が書名で『末燈鈔』は後代の命名だそうです。 ということは、『末燈鈔』とは…

出雲路暢良著「苦に賜わる道」

昨夜は正覚寺様の元気塾で出雲路暢良師の「苦に賜わる道」の輪読でした。 p.38〜p.75まで。非常に内容の深いところでした。 仏教は、釈尊が瞑想主義も苦行主義も 心理主義も条件整備主義も捨てて、 苦の内観をしたところに開かれた。 苦それ自体の開示すると…

今聴聞から帰りました。 「その人が使った言葉によって、その言葉の世界が開かれる」 というようなことが印象に残りました。 住職様から聖典学習会の予定を教えていただきました。 テーマは「浄土」のようです。絶対聞きたい! 正式にチラシが手に入ったらお…

神谷美恵子著作集1「生きがいについて」

この本を手にとって、 初めて神谷美恵子という人のことを知りました。 何かモヤモヤして分からなかったことが、少し晴れていくような気がします。 ジュール・ルナールの日記にこんなことが書かれているそうです。 「自分の幸福について語るときにはひかえ目…

やっぱり、分かっていてやっていたんだぁと怒りが起こります。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130604-00000068-jij-soci&1370315384 最近、失業対策か?と思うくらい、もの凄く白バイが多い。 同じところをグルグルグルグル…。いい大人が何をやってい…

櫻部建著「真宗の学び方」

真宗教学の学びは、聖教を読むことに尽きる。 真宗教学の学びは、聖教を読むことに始まって、そして聖教を読むことに尽きる。それだけのことです。ただ、「聖教を読む」という言い方をしないで、「聖教に聞く」という言い方が近ごろよくされています。本の表…

当初ある目的で「何々の会」と言うものを創ると その目的を忘れて会の存続を求めるようになります。 存在意義を正当化するために何か成果を得ようとします。 本来、時代の役目が終わりすでにそれ程必要のない組織が 存続のために余計な事をするということが…