140日後に定年する人

「100日後に死ぬワニ」がちょっとしたブームになりましたが、最後の最後で白けさせてしまったせいからか、その後あまり見かけません。
 人間いつの時か、フッと自分は3か月後にこの世にいるだろうか、とか、来年の今頃この世にいるだろうかという妄想に耽ることは、誰にでもあるでしょう。自分は40歳の時にあと人生3か月という実験をしてみましたが、その3か月は非常に素晴らしかったのですが、3か月過ぎれば、当然生きているわけで、その後の生活に意味があったのか無かったのか分からない思いをしたことがあります。いっそのこと位牌まで用意しようかとも思いました。(計画した位牌の年齢は63才の誕生日で、今からだと3年と140日後になります。)
 しかし、そのようなバーチャルというか、エアーというか、妄想というものもたまには必要ではないかと思います。いったん今の生活から少し離れてみて、このままでいいのだろうかと考えることは、人生にとって無駄ではないでしょう。

 今テレビで「レンタルなんもしない人」というのをやっています。実話のドラマ化のようで、「レンタルなんもしない人」というのは、
「『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます。1人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます」(原文ママ、レンタルさんのツイートより引用)
だそうです。
 今、これから自分は死ぬまでにどうしたいのかを考えて、そのように生ききる人生が、なかなかできにくくなっているような気もします。定年というのは、そんなことを実現させてもらえそうな夢のような制度です。制約はありますが、好きなように生きるという本来の在り方は定年後しかできません。ただなんもしない生き方も一つだと思います。また、社会的に仕事から引っ込むということは、社会に不平不満をいう資格はないように思います。社会とのつながりを最小限にしたときに心がどのような状態になるのか。この実験は、楽しみで仕方がありません。