2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

[唯信鈔文意] いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえし、かきつけたり。こころあらんひとは、おかしくおもうべし。あざけりをなすべし。しかれ…

[唯信鈔文意] 「不得外現 賢善精進之相」(散善義)というは、あらわに、かしこきすがた、善人のかたちを、あらわすことなかれ、精進するすがたをしめすことなかれとなり。そのゆえは、内懐虚仮なればなり。内は、うちにという。こころのうちに煩悩を具せるゆ…

[唯信鈔文意] しかれば『大経』には「若聞斯経 信楽受持 難中之難 無過此難」とおしえたまえり。この文のこころは、「もしこの『経』をききて、信ずること、かたきがなかにかたし、これにすぎてかたきことなし。」とのたまえる御のりなり。釈迦牟尼如来は、…

[唯信鈔文意] この一行一心なるひとを摂取してすてたまわざれば、阿弥陀となづけたてまつると、光明寺の和尚は、のたまえり。この一心は、横超の信心なり。横は、よこさまという。超は、こえてという。よろずの法にすぐれて、すみやかに、とく生死海をこえて…

[唯信鈔文意] 「随縁雑善恐難生」というは、「随縁」は、衆生のおのおのの縁にしたがいて、おのおののこころにまかせて、もろもろの善を修するを、極楽に回向するなり。すなわち八万四千の法門なり。これはみな自力の善根なるゆえに、実報土にはうまれずと、…

[唯信鈔文意] この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。この如来を報身ともう…

[唯信鈔文意] 「極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念弥陀専復専」(法事讃)。「極楽無為涅槃界」というは、「極楽」ともうすは、かの安楽浄土なり。よろずのたのしみつねにして、くるしみまじわらざるなり。かのくにをば安養といえり。曇鸞和…

[唯信鈔文意] 摂取のひかりともうすは、阿弥陀仏の御こころにおさめとりたまうゆえなり。文のこころは、おもうほどはもうしあらわし候わねども、あらあらもうすなり。ふかきことは、これにておしはからせたまうべし。この文は、慈愍三蔵ともうす聖人の御釈な…

[唯信鈔文意] 「能令瓦礫変成金」というは、「能」はよくという。「令」は、せしむという。「瓦」は、かわらという。「礫」は、つぶてという。「変成金」は、「変成」は、かえなすという。「金」は、こがねという。かわら・つぶてをこがねにかえなさしめんが…

[唯信鈔文意] 具縛は、よろずの煩悩にしばられたるわれらなり。煩は、みをわずらわす。悩は、こころをなやますという。屠は、よろずのいきたるものを、ころし、ほふるものなり。これは、りょうしというものなり。沽は、よろずのものを、うりかうものなり。こ…

[唯信鈔文意] 自力のこころをすつというは、ようよう、さまざまの、大小聖人、善悪凡夫の、みずからがみをよしとおもうこころをすて、みをたのまず、あしきこころをかえりみず、、ひとすじに、具縛の凡愚、屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の…

[唯信鈔文意] 「但使回心多念仏」というは、「但使回心」はひとえに回心せしめよということばなり。「回心」というは、自力の心をひるがえし、すつるをいうなり。実報土にうまるるひとは、かならず金剛の信心のおこるを、「多念仏」ともうすなり。「多」は大…

[唯信鈔文意] 「不簡破戒罪根深」というは、「破戒」は、かみにあらわすところの、よろずの道俗の戒品をうけて、やぶりすてたるもの、これらをきらわずとなり。「罪根深」というは、十悪五逆の悪人、謗法闡提の罪人、おおよそ善根すくなきもの、悪業おおきも…

法話のヒント

・お風呂に逆さにした洗面器を静めると水は入って来ない。回りは見ずだらけなのに洗面器には水が入らない。 如来の慈悲のこころも回りに満ち満ちているのに、それに触れられないのは、グッと洗面器を押さえつけているからです。手を放して洗面器を傾けてやれ…

「えらばず きらわず みすてず」〜竹中智秀〜 私たちはこの言葉とは反対に、自分の都合で縁あるものを選び取り、嫌って見捨ててしまう心を持って生きている。 [唯信鈔文意](p.551~552) 「不簡貧窮将富貴」というは、「不簡」は、えらばず、きらわずという…

唯信鈔文意

「聞名念我」というは、「聞」は、きくという。信心をあらわす御のりなり。「名」は、御なともうすなり。如来のちかいの名号なり。「念我」ともうすは、ちかいのみなを憶念せよとなり。諸仏称揚の悲願にあらわせり。憶念は、信心をえたるひとは、うたがいな…

唯信鈔文意

「彼仏因中立弘誓」、このこころは、「彼」は、かのという。「仏」は、阿弥陀仏なり。「因中」は、法蔵菩薩ともうししときなり。「立弘誓」は、「立」は、たちという、なるという。「弘」は、ひろしという、ひろまるという。「誓」は、ちかいというなり。法…

唯信鈔文意

「彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深 但使回心多念仏 能令瓦礫変成金」(五会法事讃)。

唯信鈔文意

また称名の本願は、選択の正因たること、この悲願にあらわれたり。この文のこころは、おもうほどはもうさず。これにておしはからせたまうべし。この文は、後善導法照禅師ともうす聖人の御釈なり。この和尚をば法道和尚と、慈覚大師はのたまえり。また『伝』…

唯信鈔文意

「即」は、すなわちという。すなわちというは、ときをへず、日をへだてぬをいうなり。おおよそ十方世界にあまねくひろまろことは、法蔵菩薩の四十八大願の中に、第十七の願に、十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となえられんとちかいたまえる、一乗大智…

唯信鈔文意

『大経』には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまえり。「願生彼国」は、かのくににうまれんとねがえとなり。「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという。すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。不退転に住するというは、すなわち正…

唯信鈔文意

「迎」というは、むかえたまうという、まつというこころなり。選択不思議の本願、無上智慧の尊号をききて、一念もうたがうこころなきを、真実信心というなり。金剛心ともなづく。この信楽をうるとき、かならず摂取してすてたまわざれば、すなわち正定聚のく…

唯信鈔文意

「来迎」というは、「来」は、浄土へきたらしむという。これすなわち若不生者のちかいをあらわす御のりなり。穢土をすてて、真実報土にきたらしむとなり。すなわち他力をあらわす御ことなり。また「来」は、かえるという。かえるというは、願海にいりぬるに…

浄土和讃

真実信心うるひとは すなわち定聚のかずにいる 不退のくらいにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ 第十一願の意により、信心を得たものは現生にあって正定聚に住し、未来はかならず滅度にいたることを讃じたもの。

唯信鈔文意

また「自」は、おのずからという。おのずからというは、自然という。自然というは、しからしむという。しからしむというは、行者の、はじめて、ともかくもはからわざるに、過去・今生・未来の一切のつみを転ず。転ずというは、善とかえなすをいうなり。もと…

浄土和讃

至心信楽欲生と 十方諸有をすすめてぞ 不思議の誓願あらわして 真実報土の因とする 第十八願の意を讃嘆するもの

唯信鈔文意

ある『経』には、観音を宝応声菩薩となづけて、日天子としめす。これは無明の黒闇をはらわしむ。勢至を宝吉祥菩薩となづけて、月天子とあらわる。生死の長夜をてらして、智慧をひらかしめんとなり。「自来迎」というは、「自」はみずからというなり。弥陀無…

浄土和讃

無碍光仏のひかりには 清浄歓喜智慧光 その徳不思議にして 十方諸有を利益せり 第十二光明無量の願意を讃嘆したもの

唯信鈔文意

「但有称名皆得往」というは、「但有」は、ひとえに御なをとなうる人のみ、みな往生すとのたまえるなり。かるがゆえに「称名皆得往」というなり。 「観音勢至自来迎」というは、南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、この不可思議光の御なを信受して、憶念すれば…

唯信鈔文意

「十方世界普流行」というは、「普」は、あまねく、ひろく、きわなしという。「流行」は、十方微塵世界にあまねくひろまりて、すすめ行ぜしめたもうなり。しかれば、大小の聖人、善悪の凡夫、みなともに、自力の知恵をもっては、大涅槃にいたることなければ…