唯信鈔文意

「聞名念我」というは、「聞」は、きくという。信心をあらわす御のりなり。「名」は、御なともうすなり。如来のちかいの名号なり。「念我」ともうすは、ちかいのみなを憶念せよとなり。諸仏称揚の悲願にあらわせり。憶念は、信心をえたるひとは、うたがいなきゆえに、本願をつねにおもいいずるこころのたえぬをいうなり。「総迎来」というは、「総」は、ふさねてという。すべて、みなというこころなり。「迎」は、むかえるという、まつという。他力をあらわすこころなり。「来」は、かえるという、きたらしむという。法性のみやこへ、むかえいて、きたらしめ、かえらしむという。法性のみやこより、衆生利益のために、この娑婆界にきたるゆえに、「来」をきたるというなり。法性のさとりをひらくゆえに、「来」をかえるというなり。