いろいろな人がいる

  今、フェイスブックの意見を見ていると、本当にいろいろな人がいると知らされます。自分勝手な意見を言っている人も、気には障りますが、一応見ています。あまりに価値のない、障りだけの多いものは、30日間表示を止めるようなことはしていますが、切ることはしていません。なぜなら、いろいろな人がいることを知らせてくれる存在だからです。

 自分は大学を卒業して、会社の研究室に11年間勤めていました。その時は周りの環境は普通だと思っていたのです。11年後に退社して営業職に転職したときに、気づいたことは、「いろいろな人がいる」でした。カルチャーショックでした。もし、あのまま研究室に残っていたら、そんなことさえ全く分からなかったかもしれません。

 ですから、政治でも「いろいろな人がいる」を知らずに政策を決めているかもしれませんし、多分政策決定している人たちは、「いろいろな人がいる」が分からないと思います。なぜなら、似たような境遇の中で、小さい時からそこを出ることなしに年を取ってしまったからです。これは、各人のせいではありません。そういう縁だったということです。

 もし、自分も研究室で一生働いていたら、かなり傲慢になっていたことでしょう。今でさえそうなのですから。そして、当然のようにやってくる苦しい環境を受け入れるということが出来ずに、苦しんで一生を過ごすことになっていたかも知れません。

 すべてを受け入れることが出来る人は、雲のずっと上の余裕のある人か、一番のどん底で諦めがついた人くらいで、その間のほとんどの人は、迷い苦しんで生きていくことになるのでしょう。そのときに「いろいろな人がいる」と体解していれば、こころを騒がせる必要もありません。生活の知恵ですが、そう考えてこころ穏やかに日々を暮らしたいものです。