2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

[尊号真像銘文] また曰く、「言護念増上縁者 乃至 但有専念 阿弥陀仏衆生 彼仏心光 常照是人 摂護不捨 総不論照摂 余雑業行者 此亦是 現生護念増上縁」(観念法門)文

[尊号真像銘文] 「若不生者 不取正覚」というは、ちかいを信じたる人、もし本願の実報土にうまれずは、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。「此即是願往生行人」というはこれすなわち、往生をねがう人という。「命欲終時」というは、いのちおわらんとせ…

[尊号真像銘文] 「言摂生増上縁者」というは、摂生は十方衆生を誓願におさめとらせたまうともうすこころなり。「如無量寿経 四十八願中説」というは、如来の本願をときたまえる釈迦の御のりなりとしるべしとなり。「若我成仏」ともうすは、法蔵菩薩ちかいた…

[尊号真像銘文] また曰わく、「言摂生増上縁者 如無量寿経 四十八願中説 仏言若我成仏 十方衆生 願生我国 称我名字 下至十声 乗我願力 若不生者 不取正覚 此即是願往生行人 命欲終時 願力摂得往生 故名摂生増上縁」(観念法門)文

[尊号真像銘文] 「言南無者」というは、すなわち帰命ともうすみことばなり。帰命はすなわち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがいて、めしにかなうともうすことばなり。このゆえに「即是帰命」とのたまえり。「亦是発願回向之義」というは、二尊のめしにしたごう…

[尊号真像銘文] 善導和尚の云わく、「言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行 以斯義故 必得往生」(玄義分)

[尊号真像銘文] 「智栄」ともうすは震旦の聖人なり。善導の別徳をほめたもうていわく、「善導は阿弥陀仏の化身なり」とのたまえり。「称仏六字」というは、南無阿弥陀仏の六字をとなうるとなり。「即嘆仏」というは、すなわち南無阿弥陀仏をとなうるは、仏を…

[尊号真像銘文] 唐朝光明寺の善導和尚の真像の銘文 「智栄讃善導別徳云 善導 阿弥陀仏化身 称仏六字 即嘆仏即懺悔、即発願回向 一切善根荘厳浄土」文

[尊号真像銘文] 「釈の曇鸞法師は幷州の汶水県の人なり。」幷州はくにのななり、汶水県はところのななり。「魏末高斉之初猶在」というは、魏末というは、震旦の世のななり。末は、すえというなり。魏の世のすえとなり。高斉之初は、斉という世のはじめという…

[尊号真像銘文] 「釈曇鸞法師者幷州汶水県人也 魏末高斉之初猶在 神智高遠 三国知聞 洞暁衆経独出人外 梁国天子蕭王 恒向北礼鸞菩薩 註解往生論 裁成両巻 事出釈迦才三巻浄土論也」文

[尊号真像銘文] 「観仏本願力 遇無空過者」というは、如来の本願力をみそなわすに、願力を信ずるひとはむなしく、ここにとどまらずとなり。「能令速満足 功徳大宝海」というは、能はよしという、令はせしむという、速はすみやかにとしという、よく本願力を信…

[尊号真像銘文] 「与仏教相応」というは、この『浄土論』のこころは、釈尊の教勅、弥陀の誓願にあいかなえりとなり。「観彼世界相 勝過三界道」というは、かの安楽世界をみそなわすにほとりきわなきこと虚空のごとし。ひろくおおきなること虚空のごとしとた…

[尊号真像銘文] 「説願偈総持」というは、本願のこころをあらわすことばを偈というなり。総持というは智慧なり。無碍光の智慧を総持ともうすなり。

[尊号真像銘文] 「願生安楽国」というは、世親菩薩かの無碍光仏を称念し、信じて安楽国にうまれんとねがいたまえるなり。「我依修多羅 真実功徳相」というは、我は天親論主のわれとなのりたまえる御ことばなり。依はよるという、修多羅はよるとなり。修多羅…

[尊号真像銘文] 「婆藪般豆菩薩論曰」というは、婆藪般豆は天竺のことばなり。震旦には天親菩薩ともうす。またいまはいわく、世親菩薩ともうす。旧訳には天親、新訳には世親菩薩ともうす。論曰は、世親菩薩、弥陀の本願を釈しあらわしたまえる御ことを、論と…

[尊号真像銘文] 婆藪般豆菩薩論曰 「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国 我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応 観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」(浄土論)と。 また曰わく、「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海…

[尊号真像銘文] 「人能念是仏 無量力功徳」というは、ひとよくこの仏の無量の功徳を念ずべしとなり。「即時入必定」というは、信ずれば、すなわちのとき必定にいるとなり。必定にいるというは、まことに念ずれば、かならず正定聚のくらいにさだまるとなり。…

[尊号真像銘文] 龍樹菩薩御銘文 『十住毘婆沙論』に曰わく、「人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命」文

[尊号真像銘文] 「如染香人 身有香気」というは、こうばしき気、みにある人のごとく、念仏のこころ、もてる人に、勢至のこころをこうばしき人にたとえもうすなり。このゆえに、「此則名曰 香光荘厳」ともうすなり。勢至菩薩の御こころのうちに念仏のこころを…

[尊号真像銘文] 「其最後仏 名超日月光」ともうすは、十二光仏の、世にいでさせたまいしおわりの仏を、超日月光仏ともうすとなり。「彼仏教我 念仏三昧」ともうすは、かの最後の超日月光仏の念仏三昧を、勢至にはおしえたまうとなり。「若衆生心 憶仏念仏」…

[尊号真像銘文] 「我憶往昔」というは、われむかし、恒河沙劫のかずのとしをおもうというこころなり。「有仏出世 名無量光」ともうすは、仏、世にいでさせたまいしともうす御ことばなり。世にいでさせたまいし仏は、阿弥陀如来なりともうすなり。十二光仏、…

[尊号真像銘文] 「勢至護念仏円通」というは、勢至菩薩念仏をえたまうともうすことなり。獲というは、うるということばなり。うるというは、すなわち因位のとき、さとりをうるという。念仏を勢至菩薩さとりうるともうすなり。「大勢至法王子 与其同倫」とい…

[尊号真像銘文] 大勢至菩薩御銘文 『首楞厳経』にの言わく、「勢至護念仏円通 「大勢至法王子 与其同倫 五十二菩薩 即従座起 頂礼仏足 而白仏言 我憶往昔 恒河沙劫 有仏出世 名無量光 十二如来 相継一劫 其最後仏 名超日月光 彼仏教我 念仏三昧 乃至 若衆生…

[尊号真像銘文] 「互国不逆違 自然之所牽」というは、其国はそのくにという、すなわち安養浄刹なり。不逆違は、さかさまならずという、たがわずというなり。逆はさかさまという。違はたがうというなり。真実信をえたる人は、大願業力のゆえに、自然に浄土の…

[尊号真像銘文] 「昇道無窮極」というは、昇はのぼるという。のぼるというは、無上涅槃にいたる。これを昇というなり。道は大涅槃道なり。無窮極というはきわまりなしとなり。「易往而無人」というは、易往はゆきやすしとなり。本願力に乗ずれば、本願の実報…

[尊号真像銘文] 「横截五悪趣 悪趣自然閉」というは、横はよこさまという。よこさまというは、如来の願力を信ずるゆえに行者のはからいにあらず。五悪趣を自然にたちすて、四生をはなるるを横という。他力ともうすなり。これを横超というなり。横は竪に対す…

[尊号真像銘文] 「必得超絶去 往生安養国」というは、必はかならずという。かならずというはさだまりぬというこころなり。また自然というこころなり。得はえたりという。超はこえてという。絶はたちすてはなる、という。去はすつという、ゆくという、さると…

[尊号真像銘文] また言わく、「必得超絶去 往生安養国 横截五悪趣 悪趣自然閉 昇道無窮極 易往而無人 其国不逆違 自然之所牽」(大経)抄出

[尊号真像銘文] 「其仏本願力」というは、弥陀の本願力ともうすなり。「聞名欲往生」というは、聞というは、如来のちかいの御なを信ずともうすなり。欲往生というは、安楽浄刹にうまれんとおもえとなり。「皆悉到彼国」というは、御ちかいのみなを信じてうま…