[尊号真像銘文]
「言摂生増上縁者」というは、摂生は十方衆生誓願におさめとらせたまうともうすこころなり。「如無量寿経 四十八願中説」というは、如来の本願をときたまえる釈迦の御のりなりとしるべしとなり。「若我成仏」ともうすは、法蔵菩薩ちかいたまわく、もしわれ仏をえたらんにと、ときたまう。「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。「願生我国」というは、安楽浄刹にうまれんとねがえとなり。「称我名字」というは、われ仏をえんに、わがなをとなえられんとなり。「下至十声」というは、名字をとなえられんこと、しも、とこえせんものとなり。下至というは、十声にあまれるものの聞名のものをも往生にもらさざきらわぬことをあらわししめすとなり。「乗我願力」というは、乗はのるべしという、また智なり。智というは、願力にのせたまうとしるべしとなり。願力に乗じて安楽浄刹にうまれんとしるなり。