浄土真宗の未来

 今、コロナ禍の中、世界はAC(AfterCorona)はどうなるかで、各国主導権争いをしているようです。ちなみにコロナ以前はBC(BeforeCorona)になり、奇しくも紀元前B.C.(before Christ)と同じ略号になります。2020年は大きく変わる節目になることは間違いないと思います。
 宗教的に見ても、キリスト教は世界に与える影響が大きく、アメリカ合衆国を中心とするキリスト教的な考え方は少なからず働いてくるでしょう。それに比べると仏教は全くもって蚊帳の外です。
 よくよく考えて見ると、キリスト教イスラム教、仏教と世界三大宗教に名を連ねています(これにユダヤ教ヒンドゥー教を加えると五大宗教)が、どう見ても世界情勢が動くようなときに仏教の影は薄いです。

 仏教で辛うじて世界に通用しているのは禅であり、真宗の念仏ではありません。浄土真宗には、もともと、この世の世界観でみんなを救おうという考えはないわけで、世界がどうであろうと往生道を歩みましょうという教え故に、世界がどう変わるかに影響を及ぼす力はほとんど無いのです(仏教人口が少ないとも言えますが)。それが、良いとか悪いとかではなく、無力に感じられてしまいます。
 AfterCoronaでは、今布教で言われているような浄土真宗のままでは、布教どころか信徒はますます減っていくことになるでしょう。何故かというと魅力がないからです。今までは魅力が無くても、今までの習慣で持続できていました。真宗のグループが讃美しあい褒めあって、ありがたいみ教えに出遇えた縁に感謝するという図式は、非常に尊いのですが、中にいる人には心地よいのであって、外からは極めて入りにくい世界です。
 今、共産党が超高齢化しているそうです。民青が機能していなくて新しく入ってくる人がいないからです。このまま行くと真宗も超高齢化して、今まで聴聞してきた人だけが分かった気になる、個人の宗教としての役割しか果たせなくなるような気がします。かといって「家の宗教から個の宗教へ」というスローガンがありましたから、悪いことではないと思うのですが、教えの伝道布教ということを考えた時には現状は厳しい状況であると言えるでしょう。
 コロナ禍の自粛で、法話もネット配信が増えたように、AfterCoronaでは、法話のやり方が大きく変わるかもしれません。仏教は将来どうしたいのか、真宗は将来どうしたいのかを考えて、このAfterCoronaの準備をしないと、実社会から取り残されてしまうような気がしています。仏教自体の性質ゆえかも知れませんが、今のように、この世の世界に関係がないような法話ばかりしていると、若い人から愛想をつかされてしまうのではないかと危惧しています。(ここで使った「この世の問題」とは、政治問題ではなく、生活問題のことです)