[尊号真像銘文]
「釈の曇鸞法師は幷州の汶水県の人なり。」幷州はくにのななり、汶水県はところのななり。「魏末高斉之初猶在」というは、魏末というは、震旦の世のななり。末は、すえというなり。魏の世のすえとなり。高斉之初は、斉という世のはじめというなり。猶在は、魏と斉との世になおいましきというなり。「神智高遠」というは、和尚の智慧すぐれていましけりとなり。「三国知聞」というは、三国は魏と斉と梁とこのみつの世におわせしちなり。知聞というは、みつの世にしられきこえたまいきとなり。「洞暁衆経」というは、あきらかによろずの経典をさとりたまうとなり。「独出人外」というは、よろずの人にすぐれたりとなり。「梁国の天子」というは、梁の世の王というなり。蕭王のななり。「恒向北礼」というは、梁の王つねに曇鸞の北のかたにましましけるを、菩薩と礼したてまつりたまいけるなり。「註解往生論」というは、この『浄土論』をくわしう釈したまうを、『註論』ともうす論をつくりたまえるなり。「裁成両巻」というは、『註論』は二巻になしたまうなり。「釈迦才の三巻の浄土論」というは、釈迦才ともうすは、釈というは、釈尊の御弟子とあらわすことばなり。迦才は、浄土宗の祖師なり。知者にておわせし人なり。かの聖人の三巻の『浄土論』をつくりたまえるに、この曇鸞の御ことはあらわせりとなり。