2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

浄土和讃

南無不可思議光仏 饒王仏のみもとにて 十方浄土のなかよりぞ 本願選択摂取する

浄土和讃

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど 塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたもう 阿弥陀仏は久遠劫の昔に成道された古仏であることをほめたもの。 阿弥陀仏が仏になられたのは十劫の昔ととかれているが、それは塵点久遠劫という長い時間よりも、もっ…

唯信鈔文意

この仏の御なは、よろずの如来の名号にすぐれたまえり。これすなわち誓願なるがゆえなり。「甚分明」というは、「甚」ははなはだという、すぐれたりというこころなり。「分」は、わかつという、よろずの衆生ごとにわかつこころなり。「明」は、あきらかなり…

浄土和讃

如来興世の本意には 本願真実ひらきてぞ 難値難見とときたまい 猶霊瑞華としめしける 釈尊出世の本懐を讃嘆したもの。 釈迦如来がこの世に出現された本意は、阿弥陀如来の本願真実の法を説かれるためであった。それに、この本願を信ずることはなかなか容易な…

唯信鈔文意

「如来尊号甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至自来迎」(五会法事讃) 「如来尊号甚分明」、このこころは、「如来」ともうすは、無碍光如来なり。「尊号」ともうすは、南無阿弥陀仏なり。「尊」は、とうとくすぐれたりとなり。「号」は、仏にな…

浄土和讃

大寂定にいりたまい 如来の光顔たえにして 阿難の恵見をみそなわし 問斯恵義とほめたもう 釈尊が阿難の問いをほめたもの

唯信鈔文意

「唯信抄」というは、「唯」は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。また「唯」は、ひとりというこころなり。「信」は、うたがいなきこころなり。すなわちこれ真実の信心なり。虚仮はなれたるこころなり。「虚」は、むなしとい…

浄土和讃

如来の光瑞希有にして 阿難はなはだこころよく 如是之義ととえりしに 出世の本意あらわせり 釈尊がこのような奇瑞をあらわされたのはどういうわけであろうか、それこそ第寂定にはいられて、出世の本意をあらわされた姿であることを讃じたもの。[唯信鈔文意] …

唯信鈔文意

「唯信抄」というは、「唯」は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。また「唯」は、ひとりというこころなり。「信」は、うたがいなきこころなり。すなわちこれ真実の信心なり。虚仮はなれたるこころなり。「虚」は、むなしとい…

浄土和讃

尊者阿難座よりたち 世尊の威光を瞻仰し 生希有心とおどろかし 未曾見とぞあやしみし序文の意 阿難が釈尊のいつもと違った威容を見て驚きたずねるところ。

唯信鈔文意

「唯信抄」というは、「唯」は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。また「唯」は、ひとりというこころなり。「信」は、うたがいなきこころなり。すなわちこれ真実の信心なり。虚仮はなれたるこころなり。