唯信鈔文意

また「自」は、おのずからという。おのずからというは、自然という。自然というは、しからしむという。しからしむというは、行者の、はじめて、ともかくもはからわざるに、過去・今生・未来の一切のつみを転ず。転ずというは、善とかえなすをいうなり。もとめざるに、一切の功徳善根を、仏のちかいを信ずる人にえしむるがゆえに、しからしむという。はじめて、はからわざれば、「自然」というなり。誓願真実の信心をえたるひとは、摂取不捨の御ちかいにおさめとりて、まもらせたまうによりて、行人のはからいにあらず。金剛の信心をうるゆえに、憶念自然なるなり。この信心のおこることも、釈迦の慈父、弥陀の悲母の方便によりて、おこるなり。これ自然の利益なりとしるべしとなり。