唯信鈔文意

「来迎」というは、「来」は、浄土へきたらしむという。これすなわち若不生者のちかいをあらわす御のりなり。穢土をすてて、真実報土にきたらしむとなり。すなわち他力をあらわす御ことなり。また「来」は、かえるという。かえるというは、願海にいりぬるによりて、かならず大涅槃にいたるを、法性のみやこへかえるともうすなり。法性のみやこというは、法身ともうす如来の、さとりを自然にひらくときを、みやこへかえるというなり。これを、真如実相を証すとももうす。無為法身ともいう。滅度にいたるともいう。法性の常楽を証すとももうすなり。このさとりをうれば、あうなわち大慈大悲きわまりて、生死海にかえりいりて、普賢の徳に帰せしむともうす。この利益におもむくを「来」という。これを法性のみやこへかえるともうすなり。