法話のヒント

・お風呂に逆さにした洗面器を静めると水は入って来ない。回りは見ずだらけなのに洗面器には水が入らない。
如来の慈悲のこころも回りに満ち満ちているのに、それに触れられないのは、グッと洗面器を押さえつけているからです。手を放して洗面器を傾けてやれば簡単に水を満たすことができます。

・お米を作るときに、米を作れば自ずと籾殻や藁も手に入る。藁だけをつくりたい、籾殻だけが欲しいといって、お米作りをおろそかにするようでは欲しいものも手に入らない。回心したい、信心が欲しいといってそれに執着しているようでは回りが見えていない。ただ念仏と仰せられた聖人の言葉が確かなことが、この喩えからもお分かりいただけると思う。

真宗が説いているのは、「米を作れば自ずと籾殻や藁は手に入るのだから、わざわざ籾殻だけを作ろうとか、藁だけを作ろうと思って稲作をしてはならない」ということなのだと思う。 吉峯 教範