櫻部建著「真宗の学び方」


真宗教学の学びは、聖教を読むことに尽きる。
真宗教学の学びは、聖教を読むことに始まって、そして聖教を読むことに尽きる。それだけのことです。ただ、「聖教を読む」という言い方をしないで、「聖教に聞く」という言い方が近ごろよくされています。本の表題でも『歎異抄に聞く』とか『正信偈に聞く』とか。それはいかにも、自力を取り去った謙虚な聞法的精神のように聞こえます。しかし、本当にそうでしょうか。実は、聖教に法を聞くというより、私が聖教を読むとき法が私に聞こえる。すなわち本願のいわれが私に至り届くのだ、というべきでしょうか。やはり、「聖教に聞く」と言うのではなく、「聖教を読む」のです。ともかく読まなければ始まらないのです。聖教を読むということを、改めて認識していただきたいと思います。教学を学ぶといっても、聖教を読むこと意外にない。それしかないと思います。それが一番です。(櫻部建著「真宗の学び方」)
 
いろいろな勉強会で今も、教行信証無量寿経正信偈歎異抄、その他輪読と勉強させて頂いてますが、休んだりして飛び飛びになることも多く、一度最初からしっかり学びたいと思ったのが真宗学院の動機でもありました。ここに書いてあることをそれこそ自分で求めていたわけです。が、今のところ真宗学院では聖教をあまり読みません。当てが外れたというところですが、それは自分で勉強しろ、この一年で少しは素地が出来ただろうという催促かも知れません。また、渇望の欲求が、学びたいという心をさらに起こさせても来ます。すべてがご縁ですね。
ちなみに櫻部先生の聖教を読む順序の勧めは、以下の通り。
第一に「阿弥陀経」「無量寿経」を梵語原文の和訳で。次に「昭和法要式」の訓読、「無量寿経」全文の康僧鎧訳(真宗聖典)訓読。
第二に「正信偈」と「和讃」。
住田智見師は「真宗の僧分たる者は、『正信偈』と『和讃』については、どこを問われても答えられるようにしておけよ」と言われたそうです。
第三に「教行信証」のご自釈だけ。
第四に「歎異抄」はあまり気軽に読むべきではない。
その後も貴重な指導が続きますが、57ページの短い本です。
一読の価値ありというか、常に学びの確認の教書としたい本です。