こころ穏やかに過ごすために

 1995年ころ日本という国に嫌気がさしてカナダに行きたいと思ったことがあります。外国に移民するためには、それなりの技術やお金が必要で、自分のように何の取り柄も無いものは、なかなか難しく、一縷の望みで日本語教師の勉強もしましたが、結局日本に居座っています。教会の牧師になるつもりがあれば、道もあるとのことでしたが、そのころは宗教を毛嫌いしていましたので、全く考えもせずにお断りしました。

 

 今また、日本という国が嫌になってきました。しかし、前と違うのは、もう選択肢がないということです。あのときに諦めました。そしてなんの因果か、浄土真宗の坊さんの資格まで取ってしまいました。こんなことなら牧師になってたら良かったと思わないこともありません。今はただ、何とか心穏やかにこの後の人生が終わってくれたらと、本当に細やかに願うだけです。

  我々が何を言おうと全く関係なく日本は動いていきます。その船に乗ったことを諦めるしかありません。

 日本を脱出できなかった自分は、政策について文句を言う資格はない、不平不満はやめようと誓ったはずなのに、最近はTVに向かって、文句の言いっぱなし。そして、前のように何も変わらないことに気づきました。文句を言ったら家内の肩を100回揉むという罰を設けました。500回は揉んだでしょうか。少しずつ、確実に文句は減っています。

 今の時代に”優しいツッコミ”が受けて流行り出しました。漫才師ぺこぱのように何があってもすべてを受け入れて、「悪くないだろう」と言えるようになりたいと思います。