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先日紹介した本「今、ここに生きる仏教」の内容が良いので
その中身を少しずつ紹介しようと思います。
第一回として、
p15〜「説く仏教」から「聞く仏教」へということで、
上田紀行氏の発言。
「仏教というものは衆生の苦しみを救うものであることからすれば、
やはり人々がどのようなことで苦しんでいるのかということに
自らが直面しなければいけない。その声をまず聞かなければいけないのに、
聞く前からあらかじめ決まりきった教義を説いたり、ありがたい御法話を
説いている。これでは今の仏教はやっていけないんじゃないか
というような意味で申し上げたのです。」
大谷光真氏
「私もそう思うんです。とくに浄土真宗は説くのが得意です。
僧侶の側から言いますと、教えを伝えるのが使命だと。ご門徒に向かっては
聞きなさいということを強調しているんですが、僧侶の側はあまり
聞かないで一方的にしゃべるという傾向があります。相手の気持ちを
受け止めないで一方的にしゃべっても通じないですね。」
本当にその通りだと思います。
p29〜「ハンドルとしての教えとエンジンとしての教え」ということについて
大谷光真氏「浄土真宗の現役の学者さん20人ほどの会議で話を頼まれまして、
普段思っていることをしゃべったのですが、その中でハンドルとしての教えと
エンジンとしての教えとがあるんじゃないかという話をしたところでした。
今までの教えはハンドルみたいなもので、道を間違えたらいけない、正しい
方向へ行こうと一生懸命議論しているけれど、ハンドルをいくら回しても
前には進まない。」
上田紀行氏「エンジンのない車で、必死にハンドルだけ回している。」
大谷光真氏「エンジンで前に進むような、元気の出てくるような教えを、
もっと皆さんに研究してほしいんですよ、と言ったばかりだったもの
ですから。
…
エネルギーのこもった言葉が不十分であるというところに、
日本仏教の課題があるのではないかということです。
…
ですから、むしろ学者さんの言葉よりも、もうちょっと生々しい
体験のほうが伝わる可能性があるし、最近節談説教という話術を用いた
お説教が再評価され始めてはいますが、そういう話術、演芸的な面から
響いてくるということも一つの可能性としてあるのではないかと
思っています。」
このあたりも、お西は節談説教を認めておられ、節談禁止令が解かれていない
大谷派に比べても積極的といえるでしょう。
以前ガンから復活した杉浦貴之氏の講演ライブ「命はやわじゃない」が
説教よりも響いたと感じたのは事実です。命の話では敵わないのではとまで思いました。
(これについてはここに書きました。http://d.hatena.ne.jp/jinryuji/searchdiary?of=7&word=%BF%F9%B1%BA%B5%AE%C7%B7)
だからこそ、説教の研究はぜひともやっていかねばならないと思います。
節談説教については、絶対に力になると、実践で実感できています。
絵解きよりも評判が良いです。
しかし、残念ながら、現代に通じる節談説教のネタ数が少ないのが現実です。
このままでは惜しいことだと思います。ぜひとも台本を作って復活したいところです。
それには講談がヒントになるのではないかと密かに思っています。
「まえがき」に、大谷光真氏の静かなトーンで語り出される内容は、
宗派の人間や仏教界の人たちが聞いたら卒倒してしまいそうな激烈な
内容を含む、本音トークと書いてありました。
自分は外から見ているとそれが当たり前だと思うし、
頑張って努力しているお寺は、努力が報われるように繁盛してもらいたいと願っています。
「まえがき」で良い言葉に出会いました。
「仏教には現代に果たすべき使命があります。この対談が多くの
方々の手に渡り、大きな共振を生み出すことを心から願っている。」
の「共振」という言葉。
自分はいつも法話のテーマは「気づきと共感」と言って
気づき=自利、共感=利他を意識していたのですが、そこには
私とあなたで終わってしまって、第3者への影響(継続・継承)がありませんね。
これからはテーマを「気づきと共感が、共振を生む」に変えたいと思います。