「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んでの感想

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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
 先日、娘が母親に「面白いから読んで」と言って置いていった本が、テーブルの上に何日も置きっぱなしだったので、なにげなく読み始めてみました。毎日1時間50ページくらいずつの予定で。でも、3日目の夜には読み終えていました。
 コロナで暗い時世にちょっといい話っぽくて、心が晴れそうで、面白いなと思って読みだしたのですが、最後の方では息苦しくなってしまいました。
・イギリスでは(たぶんアメリカも)、社会的な多様性について、こんなに気を使って生きていかなければいけないのか。
・小さい時から訓練していないと思考が全くついていけないのではないか。
・今のところ、自分がついていけている(と思っている)日本は、かなり遅れているのではないか。
 日本が遅れているという不安と、もしイギリスのような社会になったら自分はついていけないのではないかという不安が、どっちに転んでも、のし掛かってくるではありませんか。
 本音を言えば、今のままで終わって欲しいところですが、少しずつでも進んでいくのでしょう。自分はそれに慣れることしかできません。LGBTにすこし慣れたと思っていたら、LGBTQだと言います。「Q」って何。クエスチョニングの「Q」だそうです。「まだ決めていない人」。
 よく分からないので調べてみたら、LGBTQ+とまた増えていました。「+」は何かの頭文字、というわけではなく、他にも様々なセクシュアリティがあるよ、と示すためにつけられているとのこと。これだけでもなかなかついていけないのに、差別や格差、家族の在り方、コミュニティなど、イギリス人はその中で毎日生活しているけど、日本の私はどう?と聞かれたら、そのような生活は息苦しくてしょうがないと思ってしまいました。
 何にしても、不登校で、フリーターだった娘(現在30才)が、自分で学校を卒業して、派遣から正社員になって頑張っている中で、この本に出合ったことは、本人にとっても私にとっても何かの意味があるのだろうなと思いました。もう先のない老人にはきつい一冊でした。