「今、ここに生きる仏教」より第5回。p63〜
大谷光真
「仏教の教団の当面の課題は、悩む人々に手をさしのべるとか信者を増やすとか、
あるいはそのお一人おひとりが宗教的により深く高くなるということですけれども、
それとあわせて今おっしゃったように、仏教思想を世の中のために生かすという
ことですね。それも大事なことで、ダライ・ラマさんはそれで非常に世界に
貢献しておられますが、日本仏教も、共通の課題は宗派を超えてありますので、
仏教的な共通の思想を発信する、あるいは世の中のいろんな出来事に対応して
仏教徒の考えを発表していくというようなことが、ぜひ必要だと思っています。

とくに思想的な面で、いまではだいぶ色あせてきましたが、いちばん仏教の教え
と合わない善悪二元論が非常に強かったものですから。
私は実はブッシュさんに仏教を説いてあげないといかんなと思ったんです。
ああいう二元論では、次々と争いが広がっていくばかり。そういうことも含めて、
日本仏教の特色を上手に現実の問題に対応して表現するということが必要なこと
だと思っております。とくに縁起の思想は仏教の大事な、しかも現代的価値
のある思想だと思うんです。ただし縁起だけでは、「ああ、そうか」で
終わりかねないわけですから、もう一歩そこから広げて、慈悲の心を広げて伝えていく。
慈悲も縁起の中で説明していけば価値があるんじゃないかと思うのです。
縁起、すなわち「縁って起こる」とは、私がさまざまの縁によって生かされている
という面と、私がまわりに影響を及ぼしていくという面があります。
浄土真宗の考えはなかなか他の日本仏教と一緒に表現するのは難しくて、
私もうまくいかないで困ることもありますが。
浄土真宗は、否定的に表現しすぎているというか、従来の教義の立て方に沿って、
おはずかしい凡夫であるという部分が強調されすぎているように思いますが、
凡夫であることを前提にしたうえでできることをするということが大切ですね。

先日も、ある方のお説教を聞いていたんですが、おはずかしい凡夫である
ということが強調されて、それで阿弥陀様に救われると。そこはいいんですけれど、
その凡夫がもうちょっと世の中に何かできることはないかっていうようなお話が
ぜんぜん出てこないんです。凡夫が救われる、で終わっちゃった。
私は、阿弥陀様のお慈悲を受けたらお裾分けするような行動をとりたいのです。
自分が独り占めして終わっちゃっているんじゃないでしょうか。ダライ・ラマさんは
仏性、皆の中に仏になるものがあるのだから、その素晴らしいものを開発すればいい
というお考えですけれど、浄土真宗では、それは言いにくいんですね。
ですけれども、阿弥陀様のお慈悲を受けて、それを反射するとか、お裾分けするとか、
何かそういう解釈の持っていき方がないかなあと思っているんです。

 

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全く異論はありません。よくぞ言ってくださったという感じです。
ブッシュ元大統領は、名前がブッシュで「仏種」にも通じるのに
やったことは残念で仕方ありません。