今日の中日新聞の人生のページ「法然親鸞の仏教と現代」(梶田真章筆)は
いつも言われている「愚者の自覚」を説く中に、「そうなんだ。」と思わせられる
ことが含まれていました。
歴史のことになりますが、810年の「平城太上天皇の変」で藤原仲成が死刑になってから、
1156年の「保元の乱」で平忠正源為義が斬首されるまで346年の間公的な死刑は
執行されなかったそうです。それは、818年に出された嵯峨天皇の死刑停止の宣旨による
ものだそうで、公的な死刑がこれほど長く執行されなかったというのは
近代以前の世界に例のないことだったそうです。
 
このような話を聴くと少し誇らしい気持ちも湧いてきます。
梶田師は、最後に、「専修念仏の僧が、凡夫人間観と、阿弥陀仏の慈悲を説き続け、
愚か者同士の共感を広げ、凡夫が互いに笑い合い、時に不条理と出会わねばならないことを
悲しみ合いながら、殺された人も阿弥陀仏の浄土で菩薩や仏となっておられることを信じて
いれば、死刑のない日本に戻れるのではないかと夢見ている」とまとめられました。
遺族感情を考慮すると少し問題はあるとは思いますが、僧侶の立場は100%こうでないと
いけないと思います。「死刑のない日本に戻れる」というのが特に訴えるものがあります。
 
自分はこの文を読んでいて、「死刑廃止」は日本のあるべき方向を変える象徴のように
思えてきました。その全く反対の方向に変えようとするのが「憲法改正」だと思います。
これからの日本で国民が幸福感を持って生き続けられるために、どのように舵を切ったら良いのか
政治家も分かっていません。
まず、日本という国の考え方が変わるというバロメーターとして「死刑廃止」は分かりやすい。
その影響は欧州が先駆者となって実践していますので、よく学べば良いでしょう。
「死刑のない日本に戻ろう」というのは誇りをもっていえる言葉だと思います。
死刑制度廃止はその意味以上に国民の意識・考え方を良い方向に変えることになると思います。