・「100億の人に100億の母あれど我が母に勝る母なし」加藤みち子さん
・「世の中に十億の母あれど、我が母に勝る母はなし」 読み人知らず
・ 暁烏敏という仏教者が「十億の人に十億の母あらんも我が母にまさる母ありなん」と言っています。
・『親のこころ』という本の最後に「六十億の子に六十億の母あれど、わが母に勝る母なし」とありました。
・「世に一億の人あり 一億の母あれど わが母に勝る母なし」私はこの言葉が大好きです。

 法話でもよく使われるこの言葉に1億から100億まであることが分かりました。しかし、どれがオリジナルかはよく分りません。そしてここまでいろいろ引き合いに出されるということは、世の人の心を打つ言葉なのでしょう。自分も何とも思わずに、今まで聞いていましたが、どうもしっくりこなかったのです。
 
 岸田秀著「心はなぜ苦しむのか」の中で、岸田氏は母親は自分を支配しようとした化け物のように言っています。その本の中で、「僕だって自分を育ててくれた人を化け物と思いたくはありません。ある年齢までは、彼女ほどやさしくて自己犠牲的で献身的で僕のためを思ってくれる母親はいないと思っていました。これこそ確率的にあり得ないことことですが、世の中のすべての母親のなかでいちばんいい母親だと思っていました。これが幻想であることは、いくら何でもそのうち気づいたのですが、そののちも、いい母親ではないにしてもそんなにひどい母親でもない、まあ、普通の母親だろうくらいに思っていました。しかし、僕に対する彼女のこれまでの仕打ちをつぶさに考えてみると、どうしても僕のことなんか少しも考えていなかったという結論にならざるを得なかったのです。しかし、やはりひどい母親とは思いたくなかった。そこで、せめて普通の母親だったと思おうとするのですが、そう思おうとする努力は、彼女のひどい面をなかったことにしようとする努力と一体なのでした。彼女を普通の母親だったと思ったとき、僕は自己欺瞞に陥っていました。」と語っています。
 
 そうなんだろうな、と納得しました。これ程ひどくなくても自分も同じようなことを感じます。法話を話す人が心の底から「100億の母あれど我が母に勝る母なし」と思っておられればそれはそれで良いことですが、もし手本よろしく、これを言っておれば大丈夫のような感じならいかがなものか。世の中にはそう思えない人もいるということに、そして自分もその中の一人であったことに気付かされました。そして、お寺の法話は、本当に幸せな人が多く聞いておられる特別な場なんですね。そこのところが「法話では真の救いは無い(救われたいと思っている人の縁が薄い)」というような、何とも言えないやり切れなさがあります。