昨日、法話を聴いていてふと思ったことですが、
七高僧とは? あれ、どうだろうか? ということです。
正信偈にも出てくる七高僧は、
龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚・源空上人。
親鸞聖人まで、仏教の、その中の大乗の、
またその中でも浄土の教えを伝えてきてくださった人です。
まさしく親鸞聖人がお敬いになられた高僧です。
 
しかし、
親鸞を生きる」を実践しようとしている人にとっては七高僧でしょうが、
親鸞聖人が往生してから749年もたっている今、
「自分(私)を生きている」人にとっては、
すでに八高僧なのではないかという疑問が生まれました。
蓮如教学を実践している人は、九高僧でしょう。
その他直近の師匠がおられれば十高僧です。
真宗は自立する宗教、だとすれば十高僧という中に自分の存在が浮き彫りにされる。
親鸞聖人にとって源空上人が一番大事だったように、
蓮如上人のあとの十人目が居るか、居ないか
がその人(私)の人生の大きな分かれ道になることでしょう。
自分はこの十人目の師匠、私に真宗を伝えてくださった方が
一番大事なように思えたのですが、いかがでしょうか?