今日の殉教記念法要で、学芸員さんのお話を聞きました。
親鸞聖人のことをお話頂いて、やはり宗門の人の話とは
全く立ち位置が違うということを感じました。
自分は、そういう自由な解釈が好きですが、
どこまでが本当かに耳を傾ける必要もあるかと思います。
学術的には、親鸞聖人は三河には立ち寄っていないそうです。
柳堂の話は伝説ということになります。
また、京都で質素な生活を送っておられたと思っていましたが、
弟子たちからの送金は絶えることなく、かなり裕福だったそうです。
自分は親鸞聖人と言う人がどんな人でも構いませんが、
こうであったというところ(現実)と、こうであって欲しい(伝説)というところを
よく見極めて間違いのない親鸞像というものを持ちたいと常に思っています。