親鸞聖人

『歎異抄』の最後に流罪記録が載っている 現代語訳 後鳥羽上皇が政治を執っておられたとき、法然上人は他力本願念仏宗を興し広められました。そのとき、奈良の興福寺の僧たちが、聖人は仏の教えにそむくものとして、朝廷に訴えました。そのうえ聖人のお弟子…

今日の殉教記念法要で、学芸員さんのお話を聞きました。 親鸞聖人のことをお話頂いて、やはり宗門の人の話とは 全く立ち位置が違うということを感じました。 自分は、そういう自由な解釈が好きですが、 どこまでが本当かに耳を傾ける必要もあるかと思います…

報恩講の季節になり、にわかに親鸞聖人のことを読み直していたら、 ちょっとしたことが気になってきた。 親鸞聖人が9歳で出家したとき(1181年)、戒を授けたのは慈円である。 慈円は、法性寺関白藤原忠通の子であり、九条兼実の弟である。 九条兼実が法然上…

少しの間、親鸞聖人の勉強をします。カテゴリーはあったのですが…。 それ、聖人の俗姓は藤原氏、天児屋根尊二十一世の苗裔、大織冠(鎌子の内大臣)の玄孫、近衛大将右大臣(贈左大臣)従一位内麿公(後長岡の大臣と号し、或いは閑院の大臣と号す、贈正一位…