・自分にはないものを教えるではなく示してくれる人が師である。生きていく中で、どれだけの師に恵まれるかが人生の宝である。
・地位を守るための師弟関係、名誉を維持するための師弟関係、財産を守るための師弟関係、いずれも意味のない空虚な上下関係にすぎない。
阿弥陀仏は、この生身の人間が宿している辻褄の合わない考え方をことのほかに哀れと思って下さるわけで、その阿弥陀仏の御心こそが慈悲である。
・煩悩は好奇心である。
・死んだなら浄土にいる彼等と話し合えると思うものの、それば限りなく空しいのだ。
・特に“死”を論じる時には、それぞれが一人の生きている者として自説を展開するものだ。
・人間、誰しも金銭が豊かになり、精神的にも救われたいという気持ちを宿して生きている。
・死アル者ハ生ズ。
 (藤本義一著「歎異抄に学ぶ人生の智慧」より引用)