ある人のブログを見ていてちょっと気になったので、いつか書こうと思っていた
渡辺哲雄著「老いの風景」の「はじめに」を引用し、紹介したい。
はじめに 悔い 
 灰皿の中の吸い殻を箸でつまみ上げ、「これは何のおかずや?」と聞いた時、祖母の両眼は既
に深刻な白内障に侵されていた。明治の女が勇気を奮って受けた手術は失敗し、完全に光を
失った祖母の在宅生活は、伝い歩きで始まった。やがて、ちょっとした段差につまづいて転ん
だのをきっかけに足の運びが臆病になり、トイレにたどりつく前に失禁するようになった祖母の
ためにポータブル便器を用意すると、使わなくなった筋力は見る見る衰えて、祖母は便器から
ベッドへ移れなくなった。
 ポータブル便器は差し込み便器に変わり、差し込み便器がおむつに変わったころから、祖母は
終日口をきかなくなった。
 時折、母に代わって祖母を看ることになった私は、歯茎の縮んだ祖母に一杯のおかゆを食べさせ
終えると、決まってこう言った。
「おばあちゃん、もういいやろ?」
 その代わり、時間の余裕のある時の私は、「おばあちゃん、おかわり要るやろ?」と促して、
次のおかゆを祖母の口に運んだ。
 何を尋ねても祖母がうなずくことは分かっていた。寝たきりになった祖母の、それは、精神機能
の衰えだと思っていた。
 そんなある日、祖母の友人たちが見舞いに来た。ひとしきり世間話をして帰ろうとする見舞い
客に、祖母がしぼり出すような大声を張り上げた。
「みんな、遠いとこ済まなんだのう!」
 それは一年半ぶるに聞く懐かしい祖母の声だった。私は背筋が寒くなった。
 それからしばらくして、祖母は八十七年の生涯を閉じた。火葬場の職員が驚くほど祖母は
真っ白な骨になったが、それとは対照的に、私の心には真っ黒な後悔がこびりついて今も離れない。
 祖母の精神は衰えてはいなかった。
 食べることから排泄まで、生活のすべてを人の手にゆだねなくてはならなくなった時、祖母は、
うなずくだけの人生を選択したのだ。
 介護する側が介護される側に甘えていた。
 人が人を看るということは生やさしいことではない。ソーシャルワーカーとしてさまざまな老い
と取り組む時の原点がここにある。
  [引用終わり]
  
 奇しくも谷沢永一著「人間通」という本を読んで、人間というものはどういう性質のものか、
これでもかというくらい率直に書かれている。人生の生き方も先人に学ばなければならないと
深く感じさせられる。
その人間も、末期は老いの苦しみを味わう。
老いの苦しみとは、人間の性質を満足させえない苦しみである。そんなときに、抵抗するのを止める
という賢明な手段を選んだこの祖母の選択は、なかなか真似のできることではない。
デス・エデュケーションが叫ばれて久しいが、老いの学習はもっともっと重要になってくる。
介護とか看護とかをする学習ではなく、被介護(介護される)の教育訓練を元気なうちに考えておく
必要があるだろう。