二〇
 深心というは、即ち是れ深く信ずるの心なり。また二種なり。一には決定して深く、自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に没し常に流転して出離の縁あることなしと信ず。二には決定して深く、彼の阿弥陀仏四十八願は、衆生を摂受し、疑いなく慮りなく、彼の願力に乗じて定んで往生を得と信ず。   (善導大師『散善義』)
 
 「機の深心」と「法の深心」といわれるものである。