営業技術を学んでそれを「営業道」にしようとしていく中で、仏道に通じるような、生き方の何かを見つけられるような感じが最近特に強くなってきました。仏教の法話とか法座とかは何なのだろうかとか、すべての人間の行動原理は何なのかだとかに興味があります。仏教では「偏見なしに素直に物事を見なければいけない」と盛んに言われますが、そのときの、その集まりによって見方、考え方をうまく合わせて、そのように言えること事態が場の偏見ではないだろうかなどと考えたりして。
 「多数の意見だからとか、みんなと同じだからといって、それが当たり前だと思ってみているとしたら、それは自分が逆転して物事を見ていることに気がついていないかも知れませんよ。」という法話の常識にまた気がついていなかったのではないか、などとも思ったりして。
 仏教の有用性は「悩みにくい体質になること」。これひとつに絞ってみればそのために念仏するも良し、座禅するも良し。そのことひとつが確立できれば(そういう人を仏陀という)、浄土のことも、六道のことも、信心についても悩む必要のない世界が開けると思ってしまったりして。最近とりとめもなく考えていることです。