約10年前にガンの手術をした住職さんのお話を聞けました。今も毎月病院に通っているそうですが、そのガンの手術で入院中に、一杯の水を看護婦さんにお願いしたそうです。その水が看護婦さんの手で運ばれてくるのを見て、感謝の念が湧き出てきたそうです。看護婦さんだけでなく、その水が私の目の前に運ばれて、ノドの渇きを癒してくれる。このたった一杯の水でさえ、どれだけの人の手を経てここまで来たのか、自分はそのために何かしたであろうか。心から感謝できる体験であり、それ以来、当たり前ということが無くなったといいます。世界観が変わったのがはっきり分かったそうです。
 わたしたちは、何かが起こらないと大事なことを気づかせて頂けないようです。自分も生まれてから、世界観が変わるようなご縁となる大事件は経験していません。でも、その時では遅いのです。
 先人の善知識が自らの体験を教えて下さいました。それは、完全には自分の体験とはならないものですが、知識として納得し、行として感謝する。凡人にはどうしても無理をしなければ得られるものも少ないようです。
 先日別の住職さんが、今「感謝行」を心がけていると言われました。今日の出会いは、この二人の住職さんが自分に何かを教えてくれているように思いました。
 感謝が自然に出来るようになったと微笑む住職さん、そして、感謝行に励む若い住職さん。自分にとってどちらも大切なご縁です。

                                      • -

 昨日のご縁で真宗聖典を久しぶりに開いています。
 「浄土論」p.135〜を読んでみたのですが、何となく分かるところと分からないところ、そんなことが分かるようになってきました。4年くらい前に三河別院で浄土論の講座があったときには初めてということもあり全く歯が立たなかったのですが、今回は少し分かるような気がしました。と言ってもほとんど分からない方が多いのですが、短い論義なので、一度自分なりにまとめることに挑戦してみようかなどと思った次第です。
 短いということで「入出二門偈樹頌文」p.460〜を読むとかなり同じことを言っていて、何度も読み直すと何となく分かるのでは、と思えるようになってきました。とは言うものの、とりあえずは分からない言葉の意味を調べて、それから内容を簡単な言葉で翻訳してみたいと思っています。教義とか浄土の感性とかはその後徐々に獲得出来るのだと思います。皆さんも何か一つ始めて見たらいかがでしょうか。