観経曼荼羅(当麻曼荼羅)の絵解きの勉強中です。最初はだれもやらない60分で内陣まで全部をやってやろうと思っていましたが、到底無理。「玄義分」を除いた「序文義」「定善義」「散善義」に絞ろうと思います。それでも「序文義」で終わってしまうかも知れません。
 自分は真宗の観経の話を聞くことが多いので、ほとんど「序文義」のことしか知りません。ですから、今回は特に「定善義」「散善義」に興味を持ってとりくんでいるわけです。同じ善導大師の解釈によりながらも、宗派によって微妙にその受け取り方が変わってきます。真宗が「定善義」「散善義」の話をしないのも分かります。教義とのつじつまが合わなくなるし、いきおい「お釈迦様が阿弥陀様は私の名を称えよと言っておられるのだからそれだけでいいのです」と言わざるを得ません。
 しかし、長い文をもって定善、散善が説かれています。定善は序文義での韋提のたっての請いによって説かれたものだし、散善は釈迦の自説だと善導大師は言われます。ここを説明しなくてどうして観経なのかと思ってしまいます。なんでもそうですが、序文がメインのはずがありません。本来「玄義分」がメインなんでしょうが、自分もよく分かりませんので、今回なんとか少しでも先に行けたらと思う次第です。
 ちなみに西山三派では観経曼荼羅と呼ばずに、必ず「当麻曼陀羅」もしくは「当麻変相」と称するとのこと。これは、当麻寺に伝わる中将姫伝説をもとにして、中将法如が感得したお心を読み取って西山上人が注釈を加えられた「当麻曼陀羅注」によるところが大きいためです。 
 また、「変相」と言うことは、娑婆の相を変造して、変作するゆえにとのことです。「上品上生の化仏16体は、下品下生の15人と日輪が変造したものである。」等の考え方によります。衆生の不浄を、清浄な姿に変えるという意味から、「変相」と言っているのです。そう考えると「散善」が大事な部分を占めると考えられるでしょう。
 いずれにしても、もっともっと勉強しなければ…。