亀谷凌雲という人を知った。 『仏教からキリストへ』の著者です。1951年に初版本が出たのですが、当時の中外日報の日高善一氏の書評に「回心にあたっての一進一退、悩み、悶え、迷い、絶望し、七転八倒するあたり、これは生きた記録である。実験そのものでなければ描写のできない生活が躍動している。私は幾回か巻をおおうてすすり泣いた。」とある。以下は『ほんとうの自己実現』島崎暉久著からの引用である。

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 亀谷凌雲先生は浄土真宗大谷派寺院の長子として生まれました。この寺は由緒ある寺で、蓮如越中へ下向の節、その子蓮誓をして建立させたもので、先生はその18代目でした。東大で学びながら、近角常観師の求道学舎を訪ね何とか入れてもらえました。
 「私は救い主弥陀を見たいのが衷心の願いだけれど、また道義実践にあまりにも力がないので、その力の源泉をどのくらい求めたことであろう。私にはいろいろの問題はあったが、一番中心の問題はいつも道義の問題である。救い主を求めたのも実はこの解決を得たいからであった。どうしたら真の人格者になれるか、真のよい品性の持ち主になれるか。その徹底せる道がどこかにないものか。浄土真宗では往生極楽を強調するだけで、道徳実践への指導に欠けている。」
 「聖書に読みひたると、弥陀において味わい得る恩恵をことごとくキリストにおいて手近に味わい得て、あまりにも弥陀の慈悲そのままを、しかも力強くキリストより感得し得るので、ただただ感激を加うるのみとなってきたのである。それのみでなく、聖書によって新たなる感激、新たなる真理、新たなる力、新たなる慈悲、新たなる光、新たなる生命が極みなく与えられてくるのであった。」
 由緒ある仏教寺院の住職がキリスト者となった。先生はここで前進も後退もままならぬがけっぷちに立ったのです。
 「人情として最も愛しきは家庭である。わが家族である。これに対してはまた最も責任があるのだ。しかるに私が基督者となり、学校をやめ寺を去り、もっぱら聖書を学ぶのはいいとして、いったいこの家族をどうしたらいいのか。私が生命がけでゆくのはいい。しかし家族を路頭に迷わせていいのか。私ひとりは幸福である。だが全家は塗炭の苦しみをなめねばならぬ。これは忍び得ないことだ。」
 それで先生はどうしたか。苦しんだ。先生自身がまず、塗炭の苦しみをなめたのです。「どうしよう。生きるに生きられず、死ぬに死なれず、退くことも、進むことも、止まることもできない。」ここに立たされました。
 そこで先生はどうしたか。捨てたのです。親や子や妻だけではない。仏教も捨てた。キリスト教も捨てた。なにもかも捨てた。
 「どうせ死なねばならぬ身ではないか。死ぬ時にはすべてを捨ててゆくのだ。何ひとつもってゆけない。無一文で生れてきたのだ、また無一文でゆくのだ。親が泣こうが、妻が止めようが、死にゆくものをどうすることもできないのだ。どうせ今死の中にいるのだ。死の決意をしよう。ここまで思いつめて、死の決意をしてしまった。死ぬ以上はすべてを捨ててしまったのである。もはや何物にも未練はない。親も子も妻も、先輩も朋友も兄弟も、家も土地も金ももうないのだ。哲学も理知も常識も理想も捨てた。自分の生命と思っていた仏教も捨てた。基督教も捨てた。すべてに死んだのだ。キリストは己を捨てよと仰せになった。すべてをすてたと考えている己をも捨ててしまった。」
 
 すると何が起こったか。完全な自由です。

 「こうして死に切って見ると、こここそは完全無欠なる自由である。何物にもとらわれない。何物にも束縛されない。何ひとつ拘束するものがない。何たる自由の天地よ。何ものにも妨げられぬ。すべてを超越した世界ではないか。明鏡止水だ。心に寸亳の曇りもとどまっていない。全身全霊明朗そのものだ。絶対無私、まったく光そのものの中に出たのだ。」
 『ほんとうの自己実現』島崎暉久著より

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 仏教者がキリスト教によって回心した例であるが、蓮如上人ゆかりの寺院からそのような人がでたということが衝撃的だったのだろう。『仏教からキリストへ』は全国の寺院に贈呈され、全国の小・中学校・高等学校・大学に寄付された。ある意味布教に利用されたともいえます。真宗の教えを学んでもう少しのところだったのに惜しいことです。宗教の哲学的部分はキリスト教真宗も本質は同じだと思うし、道義に引っ掛ったところで真宗からこぼれてしまったのでしょう(弥陀の本願からするとおかしなことです)。道義、道徳の問題は真宗では常に引っ掛るところです。
 北陸のキリスト教人口比率は、富山県0.2%、福井県0.3%、石川県0.4%。東京の4.6%に比べて圧倒的に低いと書かれていました。それは真宗王国といわれる北陸では、真宗があればキリスト教は必要がないという事だと思うし、現に真宗の教えを常に聞いているとキリスト教の教えはその中の一部のようにも見えてきます。無宗教が多い東京ではキリスト教の布教が効果をあらわします。先にキリスト教の教えを聞くとなるほどと納得できるからです。自分は真宗の方が日本人には合っていると思いますが、転宗派に反対する気は毛頭ありませんし、本来宗教は自分で選ぶものだと思っています。自分にはキリスト教の絶対的良さはわかりません。しかし、世界的に見ると、中国では7000万人、韓国ではほぼ全国に布教が進んでいます。そのキリスト教をもってしても北陸だけは崩せなかったといいます。それほど浄土真宗の教義は進んでいるし、大きなものであるということです。
 上記の引用でも、二河白道を思わせる記述もありましたし、死に切るくだりは、昨日も書きましたが、死んで生まれるサイクルの繰り返しが人生であるというただそれだけのことです。昭和初期の真宗の異安心の圧力は分かりませんが、現代ではほとんど自由に真宗の教えを解釈できる環境にあります。こんな宗教も珍しいでしょう。なぜ、亀谷凌雲師がこれほど悩んで、しかも真宗に戻ってこられなかったのか、それが不思議で仕方ありません。(小さいときの生活環境が厳しかった記述がありましたので、厳格な躾け、教育に対する反動のようにも思えます。ご縁です。)
 そんな気づきの縁を聴聞ということを通じて教えられる。頭が良かった亀谷凌雲はそれゆえに凡愚の教えに共感できなかったのだろうか。宗教はひとりひとりの生き方を見つけるための指針になる、縁がなければ仕方がないが、自分には窮屈な伝統寺院の縛りに耐え切れず飛び出した反抗期青年のようにしか見えずまことに残念だとも思う。浄土真宗の大きさはキリスト教に勝るとも劣らない。(比較する必要もないことではあるが…)