岡崎教区第8組の夏期講習会が行われましたのでちょっと書いてみようと思います。
講師は真城義麿師で、講題は「生活の聞法」
 昨日の夜1時間30分と今日の午前2時間、午後2時間の5時間30分で内容もわかりやすく説いてくださいました。大谷中・高等学校の校長先生でもあります。
 自分は2006年8月4日に一度講義を聞いているんですが、その時に聞いたことと新しい話題を混ぜてお話をされました。(2年前に話したことと同じ話ができると言うことは内容がぶれていないということで、話の完成度が高いということだと思います)
 まず「聞法」には2つの意味がある。
 1.仏法の話を聞く。(人が話す言葉を聞く)   聞いて気づかせてもらう。
 2.生活の中で法に気づく。 出会ったものを正しく見ることのできる心を養う。  

 正しく見ることは何故難しいか。何が正しいかわからない。仏法で言う「正しい」とは中道のこと。バランスよく見るとか分別せずに見るということ。

 そうすると、現代の価値観とは何か。人間の価値は、
 1.能力
 2.所有
 3.地位
 で決まる。とすると失ったら存在の意味がなくなる。能力・所有・地位というものは一過性で一生を通じての価値とはならない。「人間そのもの」の価値とは何か。
 企業の人材と言った時には、これらの属性に価値を見つける。
 企業の中にも3つの「ジンザイ」があって
 1.人財 宝のような社員
 2.人在 いるだけの社員
 3.人罪 いると困る社員 だそうです。こんなジョークが頻繁に出てきます。しかし、そこから深く考えるとはっと気づくことがあります。
 それは、人材とは能力差別の発想で、その能力があれば誰でもいいということです。人材派遣会社というものは能力だけを売り物にして、誰でもいいのです。そんな話から、秋葉原の事件では、派遣社員が加害者であった。普段誰でもいい扱いをされていた犯人が、同じように被害者を扱ってやった。殺される能力さえあれば、誰でも良かった、と一瞬自分が、選ぶ側の勝者を装うところがなかったか。
 しかし、話は続く。法句経6に「我は死すべきものであると知らない。もし、それと悟れば争いは止む」と書かれている。我らは平等に死すべき弱いもの同士である。このことに気づけば、このような凶行は事前に防げるのではということである。(その為にも聞法が大事)
 今の生活は、衣食住に困らず、そこそこ長生きで、大概の物は手に入る。これを天人の生活という。天人の生活とは、苦痛のないのが当り前の生活。都市化、快適化が天人の生活をもたらした。天人になるとやがて五衰が起こる。大谷高校バージョンで天人の五衰を挙げられた。
 1.生活に張りがなくなる。生きている実感が薄くなる。
 2.健康ノイローゼになる。
 3.気力が落ちる。
 4.誇りを失う。
 5.不楽本居(ふぎょうほんご)喜びが続かない。
 天人の生活で思い通りになると思っていると、力のない人を見てバカにする。しかし、自分が力を失ってバカにしていた姿になったとき、どうなるか。社会的都合の価値では人間の存在意義や価値は見いだせない。
 脱線話し―健康オタクへ
 40才を過ぎて何を食べたら体に良いかということは関係ない。それよりも、何を食べないで置くかが問題となる。それ程食品は汚染されている。
 アメリカの土葬する地方の死体が土葬しても、なかなか腐らないという。添加物の防腐剤が体の隅々まで行き渡っているから。
 回虫によるアレルギー治療を研究している人が、被験者の体に回虫を入れても、回虫自体が腸の中で生きられなくなっている。
 これらの話は健康についての余談です。自分には信じられない部分もあるが、話されたのだから似たような事実があるのでしょう。
 閑話休題
 では、人間の存在意義とは何でしょうか、人間の幸せとは何でしょうか。
 長くなったので、明日に持ち越します。