親鸞聖人は名の知られた思想家である。しかし、親鸞聖人はその当時広く知られてはいなかった。親鸞聖人が浄土真宗の信者以外の人々にも知られるようになったのは明治時代末期以降のことである。鎌倉時代親鸞聖人の名を知るひとはほとんどいなかった。
 没後60年(1322年)に成立した416人にものぼる官僧や篤信者がとりあげられている『元亨釈書』にも親鸞に関わる記述はない。浄土宗の起源と現状をしるした述作である『浄土法門源流章』にも親鸞の名はない。
 親鸞聖人は出来事の中心に坐を占めるような人物ではなかった。
 法然上人の門弟たちにとって、親鸞聖人は越後に流されてのち、京に戻ることもなく、いつともなく消息の知れなくなった念仏者に過ぎなかった。親鸞聖人はその他大勢の無名に等しい念仏者として生き、そして死んだのだ。

佐藤正英著「親鸞入門」参考 
 近代の真宗大谷派の教学は蓮如教学だとも言われる。親鸞聖人についての情報が極めて少ないこと、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ大きな要素である「教行信証」が難解なこと等もあって、今一、親鸞聖人の浄土真宗とは何かが分かりかねている。ややもすると歎異抄をもって、親鸞聖人の理解した浄土真宗と受け取る向きもあるが、自分はちょっと違うように思う。しっかり研究したわけでもなく、直感的に感じるものであるが、親鸞聖人には歎異抄のように語って欲しくないのである。唯円に対して極端な物言いをしたのは、信仰に悩み苦しんでいる唯円に弥陀の本願を実感させ、導くためのカウンセリングのような性格をもつ対話であったためではないかと思うのである。いわゆる待機説法である。親鸞聖人は法然上人から受け継いだ当時としては極めて普通の信仰をもち、念仏行に励んだことであろう。そして、あまりにも普通だったために目立つこともなく、有名になることもなかった。そんな親鸞聖人の浄土真宗とはどういうものであったのか。現在、言われているような教えとどこが同じでどこが違ってきているのか。多くの先人が研究してきた近代教学というものがあり、そして今も研究されているのだろうが、自分はそこの部分さえはっきりしていれば、現代の真宗親鸞聖人当時の教えと違っても仕方がないと思っている。それは真宗とは言えなくなるかも知れないが、今、衆生が助かる教え、それが真宗だと思うから。