阿久悠という作詞家、誰でも知っていることと思う。彼の作詞は、飢餓を埋めることを念頭に行われた。今風に言えばニーズに応えると言うことだろうか。阿久悠氏のすごいところは、消費者も驚くような、時代を先取りした画期的な楽曲を創作したということだろう。
 このことを聞いたときに、現代の若者のこころの飢餓感は如何ばかりだろうと、すぐに結びついてしまった。歌もそれなりに力になるので、音楽家はどんどん鬱憤を晴らせるような作品を、頑張って作って欲しい。それで少しでも、気が晴れて、不幸な事件が減らせればそれに越したことはない。その点「羞恥心」は衆生に元気と明るさを与えてくれている。
 しかし、同時に考えられたのが、商売になることなら、いくらでも考えるが、儲けのないことには力が入らないということである。飢餓感を満たす歌さえ出来れば売れるという信念でいい歌ができ実際に儲けにつながった。
 今、ニートや高齢者の人たちは、同じような飢餓感、不安感を、持っている。全ての国民が不安を持っている。しかし、その対策に力が入らないのは、その仕組みを作ったところで、作った人には何のメリットもないからではないだろうか。国民が望んでいるものは何なのか、それを調べて良い仕組みを作ったら、その効果に見合ったボーナスを出す(その代わり不必要、不可解な手当ては即廃止)。そのような方法も一つの手ではなどと思ってしまった。