(その4)
 やがて陽が昇り始めると禅尼は「私共はこれにて帰ります。あとのことは宜しくお願い致します」「お帰りになると申して、いづれにお帰りですか」禅尼が黙ってニッコリ笑うと、何処ともなく七色の雲が二つ飛んできて、禅尼と化女の足元まで降りてきた雲に、二人が足を乗せるやいなや、再び中空に舞い上がり、西の空を指し飛び去った。
 その有り様を泪ながらに拝していた法如の眼には、雲と共に飛び去る禅尼は阿弥陀如来、化女は観音菩薩に見えたと申します。
 でありますから、この曼荼羅は中将法に法如が織ったものでもなければ、画いたものでもありません。文字どおり感得、感じ得たものであります。
 法如が生身の阿弥陀如来を見奉りたいと念じました、その念に応えて阿弥陀如来が禅尼の姿となり、観音菩薩の化女と共に、法如が為に阿弥陀仏の極楽世界の有り様を織り示されたのであります。
 その後、法如29歳にして亡くなるまでの12年間、文字通り不惜身命、道行く老若の男女に、曼荼羅の絵相を説き、仏説観無量寿経の教えに基づき、阿弥陀如来西方極楽浄土へと願生せしめたのでございます。