丸山健二著「生きるなんて」朝日新聞社
 「自立」を目指す、あなたに贈る11章として以下の章を立てています。

  1. 生きるなんて
  2. 時間なんて
  3. 才能なんて
  4. 学校なんて
  5. 仕事なんて
  6. 親なんて
  7. 友人なんて
  8. 戦争なんて
  9. 不安なんて
  10. 健康なんて
  11. 死ぬなんて

 第一章の「生きるなんて」を読むと親鸞聖人の教えをわかりやすく解説しているようにも思えてきます。
 本能に身を任せてそれほど頑張らない世間並みの生き方と、思い通りに欲望を満たすことができる支配的者的な生き方。
 前者として生きることは、今の時代に比較的たやすいことで、多少の細かい問題にぶつかることがあっても、どうにか生きていける。
 後者の人生を選んだ人は、人間と言う一番やっかいな敵を作り、日夜その敵と騙しあい、奇襲や陰謀が常識の世界で生き延びなければならない。
 それらとは別に人間を人間ならしめている精神性に狙いを絞り、より拡張の高い人間として生きてみたいと望んだりすればどうなるだろうか。そんなあなたの行く手にはたちまち暗雲が漂い、超えられそうにない高い障壁がいくつも立ちふさがり、独りぽつねんと暗闇の中に佇んでいる自分の孤独な立場に驚き、おののくばかりであろう。
 それでは、他者を食うことも他者に食われることも避け、支配することも支配されることもしないで済まされる、そんな理想的な道が果たしてこの世に存在するのだろうか。(これが親鸞聖人が捜し求めた道だと思うのです。)
 私たちがその道を発見できたとしても、その道で生き抜くのも簡単ではありません。何よりも強い意志力と正義感が求められるでしょう。なぜなら、嘲笑や、疎外や、排斥や、追放だけならまだしも、ときには抹殺の対象にもされかねないのです。他者を支配し、他人を食い物にして生きる連中にとって、かれらが築き上げた権威や価値観を全く認めない者は、邪魔者以外の何者でもありません。ひとたびそんな者の存在を認め、許してしまえば、おのれの牙城が突き崩されるのではないかと不安に駆られ、恐怖を覚え、これまでに培ってきた財力や権力を注ぎ込んで、なりふり構わない手段で、その者を排除に掛かります。そうした意味で、難関と危険に満ちた道ではありますが、実はこの道を捜し当て、悪戦苦闘しながらそこを通ることこそが、最も人間らしい人間として生きた証なのです。
 だからと言って、その道を指定したり特定したりすることは、誰にもできません。それは、目には見えない道だからです。職種の問題ではなく、精神の有り様の問題になるからです。
この後も興味深い記述が続くのですが、
 最後にこう言っています。あなたは好きな道を選んで、どの道を歩むのも自由です。ただ、自分が今どの道を選んで通っているのかという自覚だけは持っていたほうがいいでしょう。そうすれば楽な道を歩んでいる者が、ある日突然、人間だからこそ歩める道へと一歩をを踏み出すきっかけを掴むかも知れません。
 楽に生きられる時代は楽に生きて、そうでない時代が訪れた際にはそれなりに頑張って生きる。生きられなかったらそれまで。
 そこまで人生を達観できるようになるには、それはそれで凄まじい葛藤の荒波をくぐりぬけなければならないこともまた事実なのです。
 心の底から喜びを感じ、とことん楽しめる生き方とは、自分の心身を必要に応じて制御でき、自身で見つけた目的や目標に向かってじりじりと迫ってゆくことです。この充実感、この幸福感に優る快楽はないでしょう。

 ひとつひとつの問題を明確にしていくことで、いままで、悶々としていた親鸞聖人の教えが、何となく現代語で翻訳できるような気がしてきた。特に歎異抄に見られる、開き直りとも見える極端に常識を破る親鸞聖人の教えはどう捕らえてよいのかわからなくなることがある。また、説教を聴いていても本当にそうなのかなぁと思うこと、というか何か誤魔化されている感が残るときがある。世の研究者にはぜひ現代の日常語での解説に挑んでもらいたい。そして、誰もがわかる言葉で、議論ができるような出版物を出して頂きたいと思いました。