[一念多念文意]
「一心専念」というは、「一心」は、金剛の信心なり。「専念」は、一向専修なり。一向は、余の善にうつらず、余の仏を念ぜず。専修は、本願のみなを、ふたごころなく、もっぱら修するなり。修は、こころのさだまらぬをつくろいなおし、おこなうなり。専は、もっぱらという、一というなり。もっぱらというは、余善・他仏にうつるこころなきをいうなり。