一日の始まり

槇原敬之の「君が教えてくれるもの」は完全に法話のような味わいがあります。
一日を大事にしようと思えるのがその二番の歌詞です。

♪君は毎日目を覚ますたびに
見るもの聞くもの触れるもの
何もかも全部新しくて
それが本当に楽しそうで
僕らといえば何かを感じる為の
努力さえもしない上に
言葉の使い方まで間違って
退屈だなんて言っている
 
人間の形をして
生まれたからといって
人間らしく生きているなんて
限らないね 本当にね

本当に意識して一日を過ごさないといつの間にか10月です。そうしているうちに12月が終わります。
 
最近気づいたのですが、誕生日とか、新年とかの1年単位で考えることが多く、一年ごとに時が進むような気になっていますが、一日一日で年をとっているんです。
法事に月忌法要があるように、「毎月の誕生の日おめでとう!」とか「新日、おめでとうございます。」と言える感覚で生きられたら良いと感じた次第です。

この地方の法話の案内について
確かに自分の近くだけでも、三河東別院、赤羽別院、挙母支院、暮戸教会、碧海教会、三河西別院など公共性の強い場所での法話日程でさえもほとんど調べられません。そこに行けば日程表があるのですが…。各組の報恩講もそれぞれで配っています。何とか情宣できないものかと思います。