今日御文の一帖一通をたまたま読んで感動を覚えた。

親鸞は弟子一人ももたず。
親鸞めずらしき法をひろめず。
如来の教法をわれも信じ、ひとにもおしえきかしむるばかりなり。
されば、とも同行なるべきものなり。

よろこびのほどを古歌で表わしたが、それもいい。
 
親鸞聖人750回御遠忌のご縁は、
親鸞聖人を高く持ち上げてしまった。
テーマでも「宗祖としての親鸞聖人に出逢う」とかいったら、
何かおかしいことになる。御文を読んでそのことに気付いた。
通夜伝道でそれに触れた人はいなかったように思う。

それに比べて、蓮如上人の御文は逆に新鮮である。

こころに触れる縁が少なかった親鸞聖人750回御遠忌は、
自分の中ではどこか違っていたのではと思うし、
50年に一度のことなのに残念であった。