「手にとるように民族学がわかる本」岸祐二
 ある法話で、柳田国男遠野物語の話がでてきて、親鸞の物語も民間伝抄をたどっていくと親鸞の泉のようなものが多々あるというような面白いことが分かると聞いた。一番多いのは弘法大師の泉とか池だそうだが、その次に親鸞聖人が多いと言う。おもしろいなあと思っていたら、いろいろなところで柳田国男に気づくようになり、今回「民族学」とは何ぞやということもあり、「手にとるように民族学がわかる本」を図書館で借りてきた。
 まず、読み物として面白い。そして、このようなことを肌で感じることも少なくなり、知識としても聞かなくなってしまった今日、葬式とか他界観とか言っても、日本人の文化・風習を知らなければ意味を持たないと思った。真宗では迷信・俗信などは気にせず排除していく傾向にあるが、それが昔の葬式文化を壊していっているということ、知らず知らずに現代版葬儀を加速しているのだと感じた。知らないということは恐ろしい。
 かつて昔話や伝説が作られたが、では現代はというと都市伝説の類があるそうだ。それらを調べるとその時代の背景や問題を知ることができる。昔話や伝説や怪談などは話のタネとして面白いが、生と死についての昔の考え方は、お寺さんなら知っておかなければいけないと思う。一概に、そんなことは迷信です、では片付けられない日本人のDNAのようなものを無視して葬送を行なうことは、普段「古いものを大事にしよう」とか、「どんなものも無駄なものはない」と話をしている真宗法話と矛盾する。お坊さんは一度「民族学」を勉強する機会を作ったほうが良いかもしれない。