真城義麿師の法話があったので、空いた時間で聴きに行ってきました。
途中からし聴聞できませんでしたが、
相変わらず話がうまく、聴聞者の笑いは絶えず、面白い話でした。(絶対に落語より面白い!)

・年を取れば衰えていく知恵もあるが、深まっていく知恵もある。
・ACのコマーシャルに「心は見えないけれど、心使いは見える。思いは見えないけれど、思いやりは見える。」とあるが、いつから日本はそんな国になってしまったのか?見えない心を見ようとする、見えない思いを見ようとする関係があったのに、心は見えないと決め付けるような世の中になってしまった。(確かに見せる心、見せる思いには嫌らしい感じがある)
・この世はすべて「私が 考える する できる 成果」と見える形の成果、比較、数量化で評価される。それは、安定した安心感の持てない世界である。マザーテレサはアフリカは確かに物が貧しいが、日本人は心が貧しいと言った。仏法では、私がではなく「仏様が、この私を、無条件に、肯定する世界」である。「私が 考える する できる 成果」を雑行という。『雑行を捨て、本願に帰す』
・あなたは、自分の人生の目的地へ近づいていっているのか?それを問い直すのが750回御遠忌の意味である。


 
もう少し時間を掛けて聴いて見たいと思いました。