先日買ってきた「大地の念仏者 加賀の三羽がらす講演録」という
児玉暁洋、水島見一、松田章一氏の講述を読んでいてふと思ったのですが、
生老病死の四苦って何だろうと。
もともと「生まれる苦しみ」というのは意味が分からないと言われています。
そこで「死ぬ苦しみ」を考えてみたら、それも死んだ後には存在しないのではと思ったわけです。
児玉暁洋師の講述に一家の大黒柱が一晩にして死んだというくだりがありました。
あたかも自分の死であるかのごとく感じたそうです。
それも大きな意味では「死苦」なのではないでしょうか。
 
昨日、TVの原発のニュースを見ていてこれから生まれてくる子は可哀想だな、
そう思うと出生率は今年から来年にかけて下がるのではと思うわけです。
もし、出生率が下がるとすると、「生まれるのを見る苦しみ」から逃れるためではないかと。
そう考えると「死ぬを見る苦しみ」、「老いを見る苦しみ」、「病を見る苦しみ」となります。
生老病死」が原因で苦しむことに関係するもの、こと、人すべてが四苦なのでは。
 
そういえば、最近は人の生老病死を見るのが苦になってきました。
昨日も寺尾聡がCMをやっていましたが、老いのいやらしさが出ていて、
嫌な気分になってしまいます。森永乳業 エスキモー『PARM(パルム)』新CM
「バーで。」篇 4月30日(金)より全国で放映スタート)

仏教は自己を見つめるというものの、一番気づくのは自分の回りのことです。
ちょっと無理のある考えですが、五濁悪世の衆生は四苦までも
膨らませてしまっているのかも知れません。
ただそれをひとことで言えば「生きる苦(一切皆苦)」となるのでしょう。
涅槃寂静はどこにあるのでしょうか?