ニーチェを勉強して、「神は死んだ」の言葉のように
新しい価値基準を探し求めていたその真面目な姿勢を知って、
どうして親鸞の思想に出会えなかったのか、
出会っていれば、ニーチェならでは新しい世界観を聴くことができたろうに。
そして、生きることの喜びを達成でき、
不幸とも思える死に方もしなくて良かったのではないかと思ってしまった。
そんな時に、こんなハイデガーの言葉を見つけた。
歎異抄に驚嘆した哲学者・ハイデガー
http://www.youtube.com/watch?v=OcvzJ2-kpTI&feature=related
それでも10年遅かったと自分で言っている。
ハイデガー曰く、
「こんなすばらしい聖者が東洋にあると知っていたら
日本語を学び聖者(親鸞)の話を聞いて
世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。
そして、日本人には聖人(親鸞)のみ教えの匂いのある人間になって欲しい」と。
 
日本人として誇れるものが、
なくなってきてしまっている昨今、
親鸞聖人の教えをもっと誇りに思って、
世界中に広めていく努力をしなければいけない。
まず、身近なお寺から始めよう。
そこに真宗に触れたものとしての責任と、生きがいがあるのだ。
 
広い世界でこんなこともあるのではないかと思っていたが、
ハイデガー(1889〜1976)は、親鸞の教えに出会った。
ニーチェが出会わなかったことが本当に惜しい。