今頃また、ニュースで鳩山元首相が騒がれている。ことの発端は、
鳩山由紀夫前首相が沖縄県地元紙のインタビューで、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の県外移設を断念する理由として「在沖縄海兵隊の抑止力」を挙げたことを「方便だった」と語ったことです。
 
もともと米軍普天間飛行場辺野古への移転には反対だった元首相が、「在沖縄海兵隊の抑止力」に疑問をもつのは当然で、県外移設が完全に無理とわかったときに仕方なしに理由を探せば、大衆の納得できる意見として、自分は異論はあるけれどもこれしかなかった。だから「方便」である。筋は通っています。自分などは、マスコミもこのころ北朝鮮、中国、ロシアなどの脅威をことさらに煽った感もしますし、数々の挑発もアメリカと中国とが裏で手を握ることによるできレースではなかったかなどと勘繰ったりもしていました。
 
しかし、仏教上から言うと、また「方便」が悪者にされてしまったことには嘆かざるを得ません。
方便(ほうべん)には、次の意味があります。

1仏教で、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。
2仏教以外の物事について導く・説明するための手法のこと。真実でないが有益な説明等を意味する場合もある。「嘘も方便」という慣用句ではこちらの意味で使用されている。
上記1が原義であるが、現在では上記いずれの意味においても用いられ、双方の意味とも大辞林などの辞書に掲載される一般的な用法である。

どちらの意味にしても「方便」に悪い意味はありません。
方便はサンスクリット語のウパーヤの漢訳でその意味は、「接近」「到達」「手段」「方策」です。「近づくべき目標」は、仏あるいは悟りでした。
 
あるときの勉強会で「方便とは目に見えないものを、分かるように有るがごとくみせること」だと教えてくださり、それが元で「有相も方便」という言葉ができたと言われました。これにはいたく納得した次第で、今でもこの説は良いと思っています。もしかしたらこれこそが「嘘も方便」かも知れませんが…。
本山から受ける阿弥陀如来の掛け軸の裏には、「方便法身尊形」と書かれています。阿弥陀如来は真理のはたらきであり、色も形もないので絵には表わせませんが、仮に有相として示せば、お釈迦様に似たこのような形をもって阿弥陀としますという意味だと思います。「有相も方便」は真宗説教的な説明でもあります。
 
いずれにしても、「方便」が世をにぎわせている現状を、仏教界はどうとらえているのかということ。
自分はチャンスだと思いますが。