今日の中日新聞に「親鸞のいいたかったこと」の下が載りました。
『愚者に徹していきよ すべてを恕(ゆる)しこの世を去る』

人間は、建前では心を落ち着けることができない。だから、本音を理解してくれる人が欲しいのである。しかし、建前ばかりが語られる社会のなかで、腹をわって、本音で話し合える人を探すことはなんとむずかしいことか。親鸞法然に出会い、法然から阿弥陀仏の本音を聞かされたのだ。「煩悩具足の凡夫を救う願がすでにここにある」と。阿弥陀仏の救いのなかではじめて安心して愚者となれる境地を得た。愚者を救う本願があるからこそ愚者に安んじることができる。そして、自分が愚者であるという自覚から、相手をも愚者として恕(ゆる)すことができるのである。

普通は煩悩が邪魔をして偽者の賢者を装うから、相手を愚者として恕(ゆる)すことができないのである。愚者の自分が赦せないから賢者を目指す。「本物の愚者になることは、本物の賢者になることよりもむずかしい」という。本物の愚者になったとき、どんな相手をも慈悲の心で恕(ゆる)すことができるようになるのだろう。
 
ということは、どんな相手をも恕(ゆる)すことができる境地になったとき、愚者としての自己が完成し、悟りを開く(往生する)ことができるといえる。これは、一つの具体的な目標として大きな指針となる。

武蔵野女子学院長の田中教照師という人、本当に言いたいことをうまく纏めてあって、一通り読むだけでもすごく分かりやすくありがたかったです。この特集で少しでもハッとさせられた人が大勢いることを心から期待しています。一度直接お話を聞いて見たいと思いました。