「今、ここに生きる仏教」より第2回。p43〜45
上田紀行
「『老人福祉に取り組んだり、引きこもりの子供と向き合っていたり、あるいは
海外の貧しい方への援助など、いろんな問題に取り組んでいるお寺さんがあります。』
と地方の公園で申し上げても、『うちの地方じゃそういう需要はまったくなくて、
葬式と法事さえやってればお寺さんはいいと檀家さんもみんな思っているし、
そもそも先生が言うような問題は都会で起こっていることで、うちのほうにはありませんよ』
などと言われることが結構多かったんですね。
そのことを、南直哉という永平寺で何十年も修行した実に頭のきれる同じ年の僧侶と
『がんばれ仏教!』の中で対談したときに話したら、それは違うと。
最初から期待されていないから、寺には何も言わないんだ。寺に自分たちの苦しみを
持っていったとしても、僧侶たちは何をする能力もなければ、そもそも聞く気すらないと
思われているから、問題が持ち込まれないのだ。持ち込まれないことをいいことに、
そういう問題がないと言い切るその鈍感さが、お寺をだめにしていると。

期待されていないから持ち込まれない。何も問題はないんだと言い切るということが
一番の問題じゃないかと彼は言うわけです。」
大谷光真
「私たちの場合は、全部が全部困ったほうではないと思いますが、ただ、住職さんの高齢化
という問題が若い人の声を聞き取りにくくしているということはあると思いますね。
先日も、70歳余りのご住職がお説教なさったんですけれど、『近頃はいのちを大切にしない。
自殺なんてけしからん。いろんな人によって恵みを受けて支えられているいのちなのに
粗末にする。自殺なんてけしからん。』というようなことを言われる。
それを聞いて私は、やっぱり高齢になるとああいう受け止め方になるのかと。現実は、
いのちを粗末にして死んでいるのではないと思うんです。追い詰められて、生きていられない
のです。自由意志で死を選ぶのはごくまれではないでしょうか。
あれではやっぱり、死にたい人は相談には行かれないなあと思いました。だから、そういう
感受性を養うことが、教団の責務ですね。」

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すごく具体的に問題提起されています。
70歳を超えた住職一般のように聞こえてしまいますが、中には現代に対応しておられる
かたも沢山いるとは思います。高齢が悪いのではなく、若い頃の教育が悪いのですから
感受性を養うとかいうことではなく、一種のマインドコントロールを解くことからしないと
いけないのでしょう。頑張れば何とかなる、努力が足りない、という根性一辺倒の時代
に生きて成功した人には、現代の病根は理解できないと思います。
 
第3回に続く。