牧野恭仁雄著「納得いくお葬式は20万円からできる」 主婦の友社
 素晴らしくよくまとまっています。これ一冊あれば大抵の疑問は解決できるのではないでしょうか。
 お葬式に関する先入観が、お葬式を本来の意味からかけ離れたものにしているという。
 先入観の例
 ・お葬式は伝統を守る
 ・お通夜は来客に飲食を出す
 ・お葬式は仏教と関係が深い
 ・うちは○○寺の檀家だ
 ・遺体の運搬や火葬の手配は葬儀社に頼む
 ・死んだ人には戒名がつけられる
 ・お葬式ではお経を読んでもらう
 ・骨は墓地に埋葬する
 実際は
 оお葬式に決まった伝統はない
 оお通夜は知人をよぶものではない
 оお葬式と仏教はもともと関係がなかった
 о檀家という制度はない
 о遺体はだれがどこに運んでも自由
 о公営の火葬場はだれでも予約して利用できる
 о戒名はもともと死んだ人につけるものではない
 оお経はもともとお葬式で読むものではない
 о骨は自宅に置きっぱなしでもいい
 
 この本のいいところは、決して押し付けないことです。先入観で葬式を行なうと、納得できないことにお金を払うことになり、あらかじめ準備をしておくことが、死んだ人、残された人両方が救われるのだと啓蒙しています。また、儀式の意味は「不自由」にあるといい、葬儀によって家族に死を受け入れ、気持ちを切りかえをするためには、理屈抜きの、メリハリのある手順が必要なのも事実だと言っています。まずは正しい言葉の意味を知るだけでも、悪徳な業者に騙されることは少なくなります。お葬式は大イベントにする必要はないのです。
 
 この本で驚いたことがあります。
 先日、あるお寺様で、午前4時ごろまで葬儀について話したのですが、その時かその前に話をして「そうだ、それは名案だ」と納得したことがあります。それは「直葬」が増えているが、全く火葬してほったらかしかどうかということにたいするもので、火葬後にお経をあげたら良いのではという案でした。「直葬」を選んだ人も、儀式に全く反対の人ばかりではなく、お金が掛かり過ぎることへの反発も多いのではと話は進みました。お寺を持たない僧侶でも、それならできます。「火葬後の読経は良い案ですよね。」と言うとT住職は「地方によっては、すでに葬儀を火葬後にするところもあるよ」とのことでした。そのときの話はうろ覚えで、東北地方だと思ったのですが(またお会いしたときに確認してみます)、この火葬後の葬儀がこの本には紹介されていて、西日本から徐々に広まっているそうです
 こうすることによって、葬儀の内容は無限に広がるといいます。遺体がないので(遺体のあるのを「ナマ葬」と言っている)、いつでも葬儀を開けます。お経はCDでも良いし、みんなで持ち寄った食べ物を食べながら、昔の思い出話に花を咲かせるという革新的なパーティー葬儀も可能です。正式に会場で僧侶を呼び、遺体がないだけの今までどおりの葬儀ももちろん可能です。火葬までの費用は約20万円、それ以降は0円〜まちまちということになります。この方法のデメリットは「別れの花」を入れて最後の見送りができないということだけです。棺おけがある(ナマ葬)ということが、広いスペースと立派な祭壇の飾りつけというような大掛かりな儀式を誘導するのです。
 自分は、西日本での具体例を知りませんでしたが、この方法(火葬後葬儀)を思いついたとき、今後は絶対にこれだと思ってしまいました。全く仏教に縁を持たない「直葬」を回避できますし、主流になるのはこれしかないと思います。10〜20年後にその結果がわかるでしょう。自分は火葬後葬儀でかまいません。皆さんはどう思いますか。先入観は捨てたほうが良いですよ。
 
 キーワード「火葬後、葬儀」で調べたところ、秋田ではそのようです。やっぱり東北でしたね。ブログ貼り付けさせていただきます。
http://d.hatena.ne.jp/akita319/20100123/1264194763