今日は、10時からお寺様の内陣修理の下見。豊田にお届け物。その後通常業務に戻ります。が、13日納品の仏壇、電装がしてあったかどうか。あと経本カバーのそのカバーを探して欲しいとの依頼。今一度現状依頼されていることの整理をしないとちょっとオーバーフロー気味です。そうそう預かった仏具の整理リスト作成もありました。
昨日お寺の報恩講で、伊奈祐諦師の法話聴聞し、やっぱりいいなぁという、何というか法話は心の栄養と言いますが、「安心(あんじん)」を与えてもらった気がしました。最近の1ヵ月、余裕がなかったなぁと改めて思いましたし、家族にも悪かったなぁと。
報恩講のお勤めが終わって法話が始まる前に「時間のムダムダ」とかいって奥の部屋に行ってしまった人も居られましたが、その人の生き様はわがまま放題なのかなとか、そう思うのは自分の先入観かなとか、いろいろ考えさせられましたが、そのような人とは多分気が合わないことでしょう。法話を聞くと少なくともやさしい心が出てきます。もう少しこうしたら良かったかなとブレーキが掛かります。
法話を聞かないと人間性を失うということしみじみと思いました。いやいや、法話を聞かないと仏性を失い、人間性ばっかりが出てきてしまうのです。本当に世間は人間で溢れ返っています。人間は、自分自身を含めてそっとしておきましょう。余り弄らずに。最近そう思っています。理想では、仏性の高い人と付き合いたいものです。これは以前からの感覚的なものであり今では確信的になって来ています。あんな人と付き合いたいという方をいっぱい見つけたいものです。この2日間はそんなご縁もあり、本当に感謝しています。やっぱりお寺って本当に良いですね!
(この文章は自分の感覚的都合で書いていますので誠の真実ではありません。自分が付き合って心地良い人を仏性の高い人と思っているだけです。世代を超えて気の合う人に出会いたいと言っているだけですね。)
 
「仏法聴聞しなくても、生活はできます。しかし、仏法聴聞すれば、生きることができるのです」