二つの法話を聞きまして、どちらも特徴ある、住職の言葉で課題を語る形の意義のある考えさせられる法話でした。
 一つは「お寺」とは往生浄土の道を説くところで、この上ない幸せに行き往かせてもらうところであるという話でした。
その中で、自分を知る、ということに関して「あなたは、自分が食べているお茶碗の絵柄を思い出せますか?」という質問が出されました。30人くらいいた聴聞者のなかで、一人の女性以外は全員手が挙がりませんでした。それほど身の回りに目が行っていない、そんなものが自分を見つめられるでしょうか、という例えです。
 ここで、なるほどと思いながら、そうかなという思いがありました。(全体のお話のメモが手元に無いため詳しくは後日)
 もう一つの法話も、テーマは天(国)と浄土、どちらを望むか?ということで、現在の生活ぶりは天国そのものであり、それで幸せかというお話です。講師の先生は演台を使わず平座でお話しましょうと言って、国際病院の研修の話からなされました。
 各国の発展途上国から研修に来られている病院での研修会、最先端の技術を研修していくのかと思えば、机も使わない質素な部屋で研修が行われ、病気の7割は自然治癒力で治るのだから、生活環境を変えられない今できることは、高度な医療より心の問題を解決する方が先決とのことです。平座での法話は、そこでの経験もあってそれを参考にしたいとのことでした。(もちろん蓮如上人を意識しています)
 南無阿弥陀仏の教えは「煩悩を持ったまま幸せになる道がある」という教えです。すでに幸せであるはずなのに、幸せそうに見えないのは何故だろう?何が足りないのでしょう。というところから始まって、今私たちは「天」にいるからだと言われました。「天」とは、六道の中の地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天と一番上の世界です。(ちなみに葬儀の祭壇に6本のローソクが立っているのは、六道を現し、その世界を超えて浄土へ行くという意味があるそうです)その天に地位は、一見良さそうに見えますが、迷いの世界の一つで、天人の五衰といっていつもびくびくしていなければならない世界です。たとえば、老人が集まると病気自慢がはじまったり、死にたい死にたいといってみたり、今はたから見れば幸せそうなのに、ちっとも心が安心しない。
 それはどこからくるのか?
 住職の学校時代、写生の対象は工場が多かったと言われました。そういえば10年以上若いですが、心当たりがあります。太平洋ベルト地帯を盛んに教えられ、これからの社会は裕福になって、幸せいっぱいになるといわんばかりでした。自分の学校時代は原発を盛んに夢の技術ともてはやしていましたが、…。結局、公害をもたらし大きな社会問題となってしまいました。
 生活が向上していくのと引き換えに、月のうさぎ(中秋の名月が10/3)が象徴するように、月にうさぎがいると信じている子供は皆無となってしまった。もともと月のうさぎは、ジャータカ物語から来ていて仏教に関係が深い。
 そんな子供たちはお年寄りをどう見ているかといえば、「お小遣いをくれるから、好き」だそうです。今の子供は「ありがとう」と言われる経験が少ないそうです。人間は「ありがとう」といわれるのは嬉しいものです。それで、うがった見方かも知れませんが、今の子供は「お金でありがとうを買っている」のだそうです。
 そこで最後に宿題が出されました。「孫のおかしいと思うところはどこですか?」次回10/13までの宿題です。

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 「お金が第一」「天人のような暮らし」そんなお話のなかで、時代が進み経済重視の傾向も自然にゆるくなっていくのではないかと思います(まだ、ニュースなどでは前時代的発言も見られますが)。携帯電話から固定電話に変われないように、宗教のあり方も現代にマッチしたもの、もっといえば宗教に関しては、出遅れてしまっっています。葬儀がセレモニーホールでやるのが当たり前になっていくなら、さらにその先を考えなければならないと思いました。須弥壇納骨も院号法名も当時考えられる庶民に受け入れられた知恵(方便)だったようにも思われます。昔は良かったではなくて、今後はどうなるかを予想して、先取りしていかなくてはなりません。ヒントとしては、江戸時代200年天下泰平で文化も発達したように、この先10年くらいで経済的な発展はなだらかに落ち着くと思われます。新しい技術もそこそこになります。大きな生活環境の変化が少なくなれば、その後の制度設計さえ間違えなければ当分安心の暮らしが来ることでしょう。未来は悲観するばかりではありません。生まれたときからインターネットや地デジや携帯電話のある世代が、全くものさしの違う新たな文化を形成していく(ただし既存の価値観ではない)ので、それに期待し応援し、邪魔しないのがこれからの大人の役目だと思います。