jinryuji2009-06-10

 水曜、定休日です。
 6/20〜はお盆セールで無休営業になりますから、水曜日ではなく不定期の休みになります。
 さて、今日は今から、本店に寄って電装の部品を調達してから、名古屋東別院に行ってきます。
 何か報告できると思います。では、また、帰ってくるまで。

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 予定より30分早く終わり、余裕をもって帰路についたのですが、慣れない(久々の)講義出席と聴聞、それと運転でどっと疲れて寝てしまいました。
 前半のセミナーでは、いろいろな学者さんが日本にはいるんだなぁと、ここでは不況など感じさせない緩やかな不思議な感じをいだきました。各研究分野では熾烈な競争もあるかも知れませんが、生活感覚とは次元が違うんだろうなと…。 
 内容は、各専門の分野から布教という、人間の感覚にどう訴えていったかを科学的にとらえていく目を持とうというようなものでしたが、その本質を見つめるほんの入り口の前といった感じで、もう少し深い考察があればと思いました。各々の専門があるので、目的も違うし、なかなかまとめにくかったとは思います。
 しかし、宗教の中の人ではなく、外にいる人がなぜ宗教に入信するのかを、科学的に解明しようとする疑問は当然だと思うし、そこに、音やリズムによる感覚に響く説教というものがあることは、事実だと思います。
 今CMによって啓蒙活動をしようとする勢力があります。科学を宗教の名前に使っている団体もあります。これらは、現代人の心を惹きつけるテクニックであり、その内容をよく考えないと、あとでこんなはずではなかったと、後悔することにもなります。音とリズムの布教は、文字の読めない人たちを仲間に引き入れるのには、必要不可欠なものだったのです。まぁ、そのへんまでは、ちょっと布教史をかじった程度でも理解できるのですが、そこで終わってしまったのが残念です。
 そして、帰ってきて、「ヘキサゴン3時間SP」を見ていると、元モーニング娘さんが漢字が読めなくて問題の意味が分かりませんでしたといって、50問中2点という、これって演出と思うような場面に出会いました。
 昼間に、文字の読めなかった昔の人に、伝える方法として音やリズムを使った伝承があったというセミナーを聞いてきて、それは昔のことでは無い、大学生でもかなり文字の意味がわからないまま日常の生活をしているのでは、と思うと、今音楽による法話が流行ったり、節談説教が流行ったりするのはいいことではないのかも知れないなどと思ってしまいました。
 第一部のセミナー形式の法話ができれば理想なのでしょう。15人くらいしか来ていませんでしたが…。
 集めるが先か、教えが先かと言った場合、布教ということから考えれば、集めるのが先だと自分は思っています。でもそこで、聞いた人が感動するような、なにか心を揺り動かすようなことがなければ、広がってはいかないでしょう。そのときには内容が大事になってくるのではないでしょうか。
 いずれにしても、自分は最近本も読んでいないし、新しい情報も入って来ず、今回のセミナー&布教大会は刺激になりました。この先で今日の一日が何かのきっかけになればと思います。
 記念にアテナ・ガブリエルさんの写真を撮らせていただきました。いろいろと、ありがとうございました。