丸山健二著「生きるなんて」
 巷にはびこる建前論を極端なまでに拒絶し本音で語る「丸山流辛口人生ノート」
 ちょっと考えていたことのヒントを、本棚に積読してあったこの本を手にした縁で、改めて教えてもらったようで、少し考えてみたいという気になりました。
 第1章の生きるなんての引用です。
 生きるなんて、実にたやすいものです。
 とりわけ、戦争や経済の崩壊といったパニック要因から少しばかり離れた環境と時代においてはなおさらです。
 当人の意向にはまったく関係なく与えられた命と、その命をバックアップするようプログラムされた、恐るべき強力な本能のあれこれに身を任せて、生命の河に流されていれば、細かい問題にぶつかることは多々あっても、どうにか生きてはゆけるのです。
 霊長類のトップに君臨する人間の生きざまとしての美醜の程度はどうであれ、それほどまでに頑張らなくても、それほどまでに無理をしなくても、寿命と運が尽きるまでは、何とかこの世をやり過ごすことができるでしょう。
 しかし、万難を排して、持てる能力の限界まで迫りながら、おのれの人生を間違いなく生きたという鮮烈な証を欲する者には、そう気楽な世界ではありません。
 もちろん、ごく普通の一生でありたい、一般的な人生であれば充分といったコースを選択しても、死は、あなたが生まれた瞬間から、いや、母親の胎内に宿ったときからすでにあなたを付け狙っているのです。
 病気、事故、犯罪、紛争、災害―。
 そうした理不尽と言えばあまりに理不尽な敵からの攻撃を回避するぬは、よほどの注意力と知力と体力が求められるでしょう。平均寿命を超える年齢に達し、自然死という形で最後を迎えることができた者は、それがたとえ動物といい勝負の人生であったとしても、実に大したことなのです。
 では、世間並みの生き方を嫌い、欲望のあれこれを思い通りに満たすことのできる、きらきらと、もしくはぎらぎらと輝く、これ見よがしの支配者的な人生を選んだ者はどうでしょう。
 かれらは、病気や事故や犯罪や紛争や災害といった敵のほかに、もっと厄介で、もっと危険な人間という強敵を大勢作ることになります。そして、日夜、その敵たちと凄烈な死闘を繰り広げ、次から次へと勝ちつづけてゆかなければなりません。騙し合い、奇襲、陰謀といったことが常識の世界で生き延びるのは至難の業です。
 他方、本能にどこまでも忠実に生きる道ではなく、人間を人間ならしめている精神性に狙いを絞り、より格調の高い人間として生きてみたいと望んだりすればどうなるのでしょう。
    (明日につづく)